ぶらり歴史散策 - 郡青ひなたweb - Page 3
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磐州(ばんしゅう)通り・荒町(あらまち)方面

北野神社
北野神社のなで牛
石畳が続く磐州通り
紫雲寺
紫雲寺内、河野廣中遺髪塚
同、腹切り梅

趣ある磐州通りを辿り、古刹の数々を訪ねる

 今度は駐車場から西側、三春駅方面へ向かっていこう。三春交流館「まほら」の前を通り、信号を国道288号沿いに右へ曲がると、間もなく北野神社だ。ここは菅原道真公を祭神とする神社で、境内にある「なで牛」が訪れる者を楽しませてくれる。

 この先国道を北へ進んでいくと、浄土宗の光岩寺(こうがんじ)などがあるが、今回は西へ向かうことにする。大通りを行くのもいいが、ここは一本北側に位置する路地、磐州通りを歩きたい。石畳の風情のある道で、途中に浄土宗の紫雲寺(しうんじ)がある。
 紫雲寺には先述の河野廣中の遺髪が埋められた塚がある他、「腹切り梅」伝説が残る梅の木がある。これは史実ではないが、秋田輝季(てるすえ)の跡継ぎ問題に基づいて生み出された伝説だと言われている。

腹切り梅伝説……江戸時代の中頃、幼い男子を残して亡くなった殿様がいた。藩の権力者であった家老は、この男子を毒殺し、我が子を殿様にしようと企んでいた。しかし滋野多兵衛という藩士が邪魔をし、なかなか毒殺できない。そこで家老は滋野を無実の罪に陥れ、紫雲寺の梅の木の下で切腹させてしまった。家老は我が子を殿様に仕立てあげることができたわけだが、切腹の現場にいた滋野の飼い猫が、怨霊となって付きまとう。結局、家老やその子孫までもが祟られ、苦しめられた)

荒町は寺社が非常に多いエリア

 紫雲寺を後にし、再び磐州通りを歩いていこう。荒町に入ると、程なく県道とぶつかる。付近は寺社が非常に多いエリアで、最も手前(南側)に位置するのが法蔵寺(ほうぞうじ)だ。ここは時宗の寺院で、三春では一番の古刹である。
 その北側、県道を西へ入ると臨済宗の高乾院(こうけんいん)がある。 秋田氏の菩提寺として共に動き、三春へ移ってきた寺院だ。
 さらに北の路地には、城下で唯一の真宗道場である、光善寺(こうぜんじ)、そのすぐ北側には龍穏院(りゅうおんいん)、馬頭観音堂と続く。龍穏院は曹洞宗の寺院で、やはり秋田氏と共に三春の地に移ってきた。秋田氏菩提寺の一つである。菩提寺が二つある理由は、秋田氏が関が原の戦いによって、出羽国から常陸国宍戸(ひたちのくにししど)に領地を移された後、宗旨を曹洞宗から臨済宗に変えたためである。

 県道の東側にも目を向けて見よう。こちらには県道と並行する形で愛姫小路(めごひめこうじ)と呼ばれる裏通りがある。その最北部にあるのが八雲(やぐも)神社だ。 長い石段を上ると、深呼吸したくなるような緑の木々が広がる。ケヤキの大木も美しい神社だ。

法蔵寺
高乾院
光善寺
龍穏院
馬頭観音堂
八雲神社

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