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高籏(たかはた)鉱山の歴史

山の中に形成された鉱山の町

写真:高旗山山頂からの景色。晴れていれば猪苗代湖が見られる。郡山市街地方面の眺望も見事。

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上2枚:わずかに残る石垣。高旗鉱山跡林道を経由して高旗山へ登る途中にある。メインの登山道ではないため、歩く距離が長く、笹薮などで道も険しい。ここを経由するためには、三穂田町富岡蒲沢(かばさわ)、県道29号長沼喜久田(きくた)線から西へ入る。林道は途中にゲートがあり、登山口までは歩きとなる。
山頂にある国土地理院が設置した一等三角点。メインのルートは逢瀬(おうせ)町の源田(げんだ)温泉横の日山(ひやま)源田林道を入り、峠付近の鳥居から。
登山の途中では四季折々の花が見られる。特にツツジは名所である。撮影は7月。この時期は額紫陽花が綺麗だった。

 かつて日本にはおびただしい数の鉱山が存在し、時に日本の近代化の原動力となってきた。鉱山を中心に町が形成され、道路や学校、店舗など、様々なものが山の中に建設された。戦後、日本の高度経済成長に合わせて、様々な理由から多くの鉱山が閉山を余儀なくされ、それと同時に集落も自然と消滅していった。

 ここ三穂田町にあった高籏鉱山もその一つで、金銀銅などを産出していた。三穂田公民館所蔵の史料によると、所在地は安積郡三和(みわ)村字富岡とされており、現在の三穂田町富岡、高旗山の山中であったと考えられる。

 この歴史は非常に古く、旧会津領主蘆名(あしな)氏により開発され、その後蒲生氏の所領、二本松藩主丹羽(にわ)氏などの所領を経て、明治維新まで盛んに稼働した。明治時代からはなかなか業績が上がらず、中断などがあったものの、昭和11年より著しく好転。以降この地域の産業の一翼を担い、時期は明らかではないが、戦後しばらくの後に閉山された。
 昭和20年代の統計によると、当時は500人強の人口があったとみられ、集落には共同浴場の他、理髪店、食堂、診療所、分校などが存在し、生活に必要な機能だけではなく、映画などの娯楽施設も兼ね備えていた。熱海町の高玉(たかたま)金山と共に、郡山では貴重な金の産出場所として一つの町を形成していたのだ。

 現在の高旗山は、週末になると登山客で賑わいを見せる。当時の鉱山の面影はほとんど感じられない。時代の流れ、産業の移り変わりを感じずにはいられない。身近な山の歴史として、その一片でも記録しておきたいと思った。

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