安達太良神社/抱付観音 - 郡青ひなたweb
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安達太良(あだたら)神社

長い石段を上がっていく。

本宮市本宮字舘ノ越

 安達太良神社は本宮市街地を見下ろす小高い丘の上にある。
 久安2年(1146年)に安達太良山と大名倉山(おおなぐらやま)に鎮座されていた神々を合わせ祀り、安達太良大明神と称し、安達郡の総鎮守とした。

 本宮はそれまでは「本目村」という地名であったが、お宮がやってきたことにより「本宮村」に改められたと伝えられている。

 付近は旧国道(県道355号)に近く、旧家や商店が軒を連ねる一角に位置する。かつての「本宮宿」の雰囲気がどことなく漂う町並みで、ゆっくりと歩いて回りたい。

抱付観音

本宮市岩根字深沢

 本宮市西部の抱付観音は、大名倉山の麓に位置し、長い石段を上って行った先にある。

 この不思議な名前の起こりは、天正年間に遡る。当時伊達軍がこの地に兵を進めた時、会津芦名(あしな)の兵士が観世音を背負って逃げてしまった。
 その夜、観世音はここの大岩に取り付き、一夜にして磨崖仏(まがいぶつ)となって蘇ったという伝承から、抱付観音と呼ばれるようになったということだ。

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