名所・史跡~久川城跡・前沢集落・古町の大イチョウ~ - 郡青ひなたweb
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名所・史跡

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久川(ひさかわ)城跡

現在はこのように城址公園として整備されている。
空堀跡
小塩塩之岐林道の伊南側入り口付近から、古町を望む。すぐそばに久川城址公園の駐車スペースがあり、車を止めて城跡を一周できる。

取材ご協力:伊南村史編纂室 河原田宗興さん
参考文献:伊南村史 第一巻 通史編

伊達軍の侵攻を防いだ名城跡

 福島県の指定史跡である久川城は、天正17年(1589年)に河原田盛次(かわらだもりつぐ)が築いた山城だ。現在の国道401号から見て伊南(いな)川の対岸、青柳(あおやぎ)集落と小塩(こしお)集落の間に位置し、高さ約50メートルの台地上にある。
 この年は会津を支配していた蘆名(あしな)氏が、摺上原(すりあげはら)の戦いの末に伊達政宗軍によって滅ぼされた年である。河原田盛次も蘆名側に臣従していた。その後、河原田氏は伊達氏への服属を拒んだことにより、伊達軍の侵攻に遭う。先に攻められた河原崎城(和泉田(いずみだ)城。南郷(なんごう)地区・和泉田)は落城を余儀なくされたが、久川城では攻勢を防ぐことに成功した。
 河原田氏の本拠地は、現在の伊南総合支所の南南東にあった駒寄(こまき)城であったが、伊達軍の侵攻に備えて久川城を築城した。これは策略的な面も大きかったようだが、地理的な戦いやすさもあった。伊南川を越えようとする伊達軍に対し、対岸から鉄砲を撃ったり、弓矢を射るなどし、容易に川を渡らせなかった。川に慣れている伊南の軍勢が戦いを優位に進めることができ、結局伊達軍は攻め落とすことを諦めて引き返すしかなかった。
 しかし翌年、豊臣秀吉の奥州仕置により、会津の地は蒲生氏郷(がもううじさと)に与えられ、河原田氏は領地を失ってしまう。久川城は蒲生氏の会津支配のための一支城となった。
 再蒲生時代(会津領主が蒲生氏から上杉氏を経て、再び蒲生氏になった時代)の慶長(けいちょう)6年(1601年)には蒲生秀行(ひでゆき)が大改修を行なっている。しかし、慶長15年(1610年)には廃城となったとされる。
 現在の城跡の中心部は、この再蒲生時代に改修された姿である。空堀や土塁などがくっきりとした形で残されており、貴重な史跡となっている。また、城址公園として整備がなされ、町民には憩いの場としても親しまれている。

重要伝統的建造物群保存地区

前沢(まえざわ)集落

茅葺屋根の家々。2014年6月15日撮影。
公園には水車小屋がある。11月中旬の日、飛沫が凍りついていた。
ふるさと公園の花しょうぶ。2014年6月15日撮影。
曲家資料館内部。曲家の構造が分かる。

茅葺屋根の古民家が立ち並ぶ

 国道352号、舘岩(たていわ)中心部から西へ進むと前沢集落の入口が見えてくる。ここは中世に会津武士が拓いた集落で、明治40年に火事で家々が消失、その際に同一大工の集団により、各戸がエル字型をした「曲家(まがりや)」の形態で建築された。これは雪下ろし・雪かきの利便性を考え、玄関を前に出す形にしたからだという。
 現在も、茅葺屋根の家々で人々が日々の生活を営んでおり、飾らない雪国の原風景を垣間見ることができる。その文化的な価値が認められ、平成23年6月には重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 また、川沿いに整備されている「ふるさと公園」では、初夏に花しょうぶを見ることもできるので、併せて散策したい。

※前沢集落の見学には入場料300円が必要。

古町(ふるまち)の大イチョウ

2011年11月10日撮影。その年の気候によって見頃が前後する。散るのも早く、時期が1週間ずれると散ってしまっていることもある。

小学校に立つ、地域のシンボル

 樹齢800年余と推定されるこの木は、例年11月上旬に真っ黄色に色づく。河原田盛光(もりみつ)建久(けんきゅう)年間(1190~)にこの場所に舘を築き、重臣を住まわせた際に植えたものだと言われている。現在は伊南小学校の校地となっており、子供達を見守るように堂々たる佇まいを見せている。
 地域の人達はこの木を降雪量の予知に使い、葉が一夜で散れば大雪、時間をかけてゆっくり散れば浅雪であると信じられている。
 見頃が短いため、時期をよくチェックして訪れたい。

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