コラム 上州街道/駒止峠 - 郡青ひなたweb
郡青ひなたweb

トップ>>南会津町>>西部地域>>コラム 上州街道/駒止峠

※情報提供ご協力のお願い※

 このサイトでは、主に2007年~2013年にかけて取材をした記事を掲載しています。そのため、情報が古くなっていたり、掲載が不適切なものがあるかもしれません。
 取材対象者の方をはじめ、地元の方、歴史に詳しい方など、もしもお分かりになる点がございましたら、コメント欄、またはお問い合わせフォームより、ご教示いただけますと幸いです。
 また、観光客の方で実際にお出かけになる場合は、掲載している自治体観光課、観光協会等へ日程をご確認ください。特に新型コロナウイルスの流行以降、行事自体を開催していない場合があります。当サイトは、性質上、最新の観光ガイドにはなれませんので、ご容赦ください。

コラム① 上州街道

国道401号、古町付近。商店や民家が軒を連ねる。
この日は古町のまつりの日。神事やイベント事で朝から晩まで盛り上がり、町が一年で最も活気ある一日だ。「古町のまつり」はこちらのページをご覧ください。
2010年9月11日撮影。

 伊南(いな)川沿いの道は上州沼田街道と呼ばれ、古くから会津と江戸を結ぶ重要な街道の一つであった。
 慶安(けいあん)2年(1649年)に会津藩は、本道として会津五街道を幕府に報告しているが、南山御蔵入領(みなみやまおくらいりりょう)内には、その他に幕府から認定された5筋の街道があった。上州沼田街道もその一つである。若松から山口村(現在の南郷(なんごう)地区・山口)に至り、伊南川沿いに古町、浜野、檜枝岐(ひのえまた)を通り、尾瀬沼を超えて上野国(こうずけのくに)利根郡戸倉(とくら)村(現在の群馬県利根郡片品村戸倉)に出て、沼田藩の城下町へ至る。
 明治期には近代交通網の整備が進み、上州沼田街道は伊北(いほく)街道、伊北越後街道と一本化され、明治14年の県議会決議以降は「沼田街道」という名で呼ばれ、改修が進められた。
 現在の沼田街道(国道401号)は、尾瀬の自然環境を守るため、福島群馬県境が自動車道として整備されておらず、街道としての姿は感じられない。ただ、西部地域や檜枝岐村に残る文化等を見ていると、この街道の果たした役割の大きさが感じられる。

参考文献:伊南村史 第一巻通史編

コラム② 駒止(こまど)

駒止峠旧道より。南郷側の景色。11月の上旬、道路にはうっすらと雪がかぶっていた。
2010年11月上旬撮影。

 町役場の置かれている田島から、西部地域へ最短でアクセスするには、国道289号を使う。駒止峠には長いトンネルが掘られ、坂の途中途中に登坂車線も設けられている立派な道である。現在の峠道の完成は昭和57年のことで、それ以前は北側にある細い峠道を利用していた。
 この旧道は近世期に開かれ、田島側の針生(はりゅう)から戸板川沿いに上り、下りは小屋川に沿って山口へと抜ける道であった。明治期に馬車が行き来できるように改修され、急勾配を避けるよう若干の迂回がなされた。既に開通していた沼田街道ともつながり、地域の産業発展の原動力となった。
 現在、旧道は主に駒止湿原へのアクセスに使われている。狭い道ではあるがところどころで対向ができ、湿原散策に多くの観光客が訪れる。実際車で走ってみると、川のせせらぎを聞きながら走れる気持ちの良い道であった。なお、冬期は閉鎖となる。
 また歴史上、この旧道が明治期に改修される以前は、針生と多々石(ただいし)(古町の東に位置する集落)を結ぶ箕の輪(みのわ)峠という道も、公道として利用されていたようである。当時、伊南の人達はこちらを「駒止峠」と呼んでいた。現在も多々石と駒止峠田島側とを結ぶ林道があるにはあるが、通れるような道ではない。

参考文献:伊南村史 第一巻通史編

情報が古い、掲載が不適切な事項などありましたら、お問い合わせフォーム、あるいは以下コメントよりお知らせください。特に当事者の方や地元の方、何卒ご教示ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です