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湖南町に残る伝統芸能

会津万歳(まんざい)の魅力

トップ写真ご提供:会津万歳安佐野保存会

取材ご協力:会津万歳安佐野保存会 副会長 増子功さん
写真ご提供:会津万歳安佐野保存会

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 会津万歳は、会津藩の時代に会津地方で伝承されてきた郷土芸能。湖南町は会津藩と二本松藩の狭間に位置し、双方の文化交流が頻繁に行われていたことから、次第に伝わってきたのではないかと言われている。昭和の初め頃までは盛んに演じられていたが、時代の流れと共に衰退し、現存するものは非常に稀である。この貴重な郷土芸能を後世に残そうと立ち上がったのが、安佐野(あざの)保存会だ。副会長の増子(いさお)さんにお話を伺った。

会津万歳安佐野保存会ご提供。夜の時間を使って練習を行なっている。
安佐野地区にある会津万歳の碑。県の重要無形民俗文化財に指定された記念に立てられた。
安佐野地区

 万歳とは2人、ないし3人でペアを組み、神棚の前で祝いの歌や踊りを奉納する伝統芸能。主に正月の目出度い場にて、面白おかしく演じられる。
 かつては年始の風物詩として、湖南や会津地方だけではなく、浜通りや東京方面にも出張し演じていたのだそうだ。特に農家にとっては冬の間の稼ぎとしても重要な意味を持っており、万歳を演じる人も多かった。
 もともと湖南は江戸時代、二本松藩によって「隠居制度」が導入された非常に珍しい地域で、精神的なゆとりにより、民俗芸能が根付きやすい土地であった。会津万歳を町の文化として定着させられるだけの土壌があったのだ。実際、時代のニーズにより演じる機会が激減した現代においても、湖南町中野の安佐野地区に文化財として残されている。

 この貴重な民俗芸能を残そうと、昭和49年に結成されたのが「会津万歳安佐野保存会」だ。昭和56年には福島県の重要無形民俗文化財にも指定された。
 しかし、保存会自体が高齢化してしまい、継承者不在の危機に直面することに。そこで、湖南公民館を中心に地域の有志が集まって結成されたのが、現在の安佐野保存会である。平成17年より稽古を始め、平成19年3月に芸能祭にて20年ぶりにお披露目された。
 増子功さんもそのメンバーの一人。昼間は会社で働きながら、夕刻以降を利用して練習を重ねている。会員は現在6名。若手が中心となり活動しているため、増子さん同様、それぞれ昼は別の仕事を持っている。そのため、時間のやりくりが一番苦労するところだ。
「はじめは不安もありましたが、やってみると予想以上に奥深く面白かったのです。もともと縁起のいいものですから、題材も面白いんですよ。大変ではあっても、自分達の手で成功させたいという思いが強くなりました」と増子さん。
 会津万歳の演目は20ぐらいあるそうだが、現在演じられているのは6つほど。特に「七福神」や「年始万歳」がよく演じられるとのこと。保存会の先輩演者に教わりながら、一つ一つ練習中だ。
「見所は踊りの部分ですね。練習でも一番力が入るところです。会津万歳は歌から踊りまでを一人でこなしますから、慣れないうちはバラバラになってしまって大変でした。方言が入っていることもあり、一度聞いたくらいじゃ祝詞も覚えられませんしね」
 他の伝統芸能でもそうかもしれないが、会津万歳は楽譜などが残されているわけではなく、全て口伝。形として残されていない、伝統芸能特有の苦労だろう。しかし、人から人へ直接受け継がれていくからこそ、そこに込められた想いや情熱が、見る者の心を揺さぶることができるのかもしれない。
 現在ふるさとを見直していこうという世相にも押され、あちこちの町から問い合わせがあるのだと言う。
「大変ありがたいことです。ただ、私達も練習段階ですので、そこまで回りきれないのが現状でもあります。まずは目前の公演から着実に一歩一歩キャリアを積んで、再び正月の風物詩となっていければいいですね」
 伝統の灯は着実に大きくなってきている。増子さんはさらにこう続ける。
「いろいろな町の行事への参加や、老人施設への慰労なども行っていけたらと思っています。会津万歳により、町全体が活性化していくなら、それ以上のことはないですね」
 湖南町の郷土芸能として多くの人に認知してもらい、その輪が少しずつ広がっていく。増子さんの話には、近い将来に実現可能だと思わせる強さがあった。
 ただ、そのためには伝承を重ね、技を受け継いでいく必要がある。
「いつかは私達が教える側に回り、若い人達に伝えていきたい。今後多くの人に参加してもらえたらと思っています。魅力ある郷土芸能ですから、できるだけ永く続けていければと思います」 
 人から人へ。増子さんの眼中には、既に次の世代への伝承の意志が宿っている。
 こうして郷土芸能が守られると同時に、町の人々が自分の町をもっと好きになり、また広く外部へも魅力を発信していくことができるようになっていく。
「湖南町発、会津万歳」――それは故郷を愛する人々の、一つの想いの形であるような気がした。

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