二本松の名所・旧跡 - 郡青ひなたweb - Page 3
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粟ノ須(あわのす)古戦場跡

古戦場跡の地名は「沖」。県道116号二本松三春線から来れば案内板がある。
古戦場跡からすぐの大稲場地区から。この辺りも景色が美しいところだ。

東部(小浜方面)

 安土・桃山時代にあたる1585年、当時米沢に居城を構えていた伊達政宗は、父輝宗(てるむね)と共に勢力を振るい、現在の二本松市東部に位置する小手森(おてのもり)小浜(おばま)宮森(みやもり)の諸城を攻略。さらに二本松城に攻め入ろうとしたが、当時の城主・畠山義継(よしつぐ)が条件付きで伊達氏に服属することで和議が成立した。
 しかしその後、義継は和議の礼に訪れた宮森城で輝宗を討つことを企て、取り囲みながら二本松城に引き揚げようとしたところを、途中粟ノ須の地で政宗に追い詰められた。義継は輝宗を刺殺の上、やむなく自害した。

 戦国の名将二人が果てたこの場所は、現在史跡として整備され、田園の緑の中にひっそりと佇んでいる

小浜城跡・宮森城跡

小浜城跡。本丸跡は公園として整備され、憩いの場となっている。
現在も石垣が残されている。
城跡の碑

旧岩代町方面(小浜)

 二本松市街地から国道459号を東へ進み、阿武隈高原の山々に抱かれ始めた頃、思いがけず再び趣ある町並みと出逢う。小浜城跡や宮森城跡を擁する小浜だ。
 小浜城は南北朝時代に創築、後には大内定綱(さだつな)の居城となっていたとされる。
 伊達政宗が1585年に入城、翌年にかけてここに滞在した。その後若松城の支城として蒲生(がもう)氏が入り、現存する石垣などはその頃に築かれた。

 なお、小浜城は「下館」と呼ばれ、南方の宮森城が「上館」と呼ばれる。両城の間に集落が形成され、現在の情緒ある町並みの基盤となった。
 宮森城跡へは小浜川に沿って県道40号飯野三春石川線を南進する。道路上に案内板があるので、そこから細い道へ入っていこう。政宗の父・輝宗が在陣した場所である。

宮森城跡
現在は矢取八幡神社になっている。

小浜の街並みと紋付祭り

小浜川。ところどころにかかる橋の雰囲気がとてもよい。
県道40号沿いの商店街。国道459号沿いと共に活気がある。
紋付祭り2日目本祭りでの、昼の引き回し。
3日目後祭り昼の引き回し。仮装行列で町内を回る。
夜の引き回しでは提灯に火を灯す。本祭りの日には連合の提灯祭りが行われる。

旧岩代町方面(小浜)

 小浜の町は宮森城と小浜城を南北にして広がっている。小浜川に沿って県道40号飯野三春石川線が通っており、沿道には昔からの商店街が軒を連ね、趣ある雰囲気を作り出している。
 川や山などの自然と町並みが絶妙に調和しており、長い歴史のある町だからこその貫禄が感じられる。

 塩松神社の秋の例大祭「小浜の太鼓台祭り」は、「紋付祭」とも呼ばれ、紋付袴姿の氏子たちが町内を練り歩き、夜遅くまで賑わいを見せる。
 毎年スポーツの日前の土曜日から3日間で行われる。夜の太鼓台引き回しでは提灯に火が入れられ、幽玄な雰囲気を醸し出す。面白いのが最終日の昼の行列が、一風変わった仮装行列になっていること。見る者を楽しませてくれると共に、参加者自身がとても楽しんでいるのが感じられる。

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