【郡山市】東部の中田町は桜の郷!阿武隈高地に咲く名桜の数々を辿る

郡山市東部の中田町は、知る人ぞ知る「桜の町」です。紅枝垂地蔵桜や不動桜などのよく知られた名所だけでなく、町のあちこちに名木があります。春に町を回ると、次々と現れる鮮やかな光景に驚かされることでしょう。
中田町の桜は以前当サイトの特集記事でもご紹介しましたが、今回は当時取り上げなかった場所を中心にご紹介します。しばらく訪れないうちにGoogleMapでマッピングされている名所が随分と増えました。それもそのはず、中田町では民家の軒先や里山にも美しい花が咲き、「何気ない風景の美しさ」にしみじみとさせられます。名も知らぬ桜を「名所として認知させよう」と誰かが立ち上がれば、どの場所も名所になり得るだけの魅力があるのだと感じられます。
今回は町の東側・柳橋から入り、郡山市街地方面へ向かいゆっくりとドライブして回りました。久々の中田町は以前と変わらず美しく、「来てよかった」と心から感じられる一日となりました。有名どころからまだあまり知られていない名木まで、中田町の春をお楽しみください。
■以下の特集も併せてお読みください。
Contents
和紙や歌舞伎でも有名な郡山市中田町とは
郡山市中田町は郡山市東部、阿武隈高地に位置する山間の町です。東は田村郡小野町、北は同三春町に接しており、福島県道65号小野郡山線が町を横断しています。車での来訪が基本ではあるものの、福島交通の路線バスが同県道沿いに運行されており、バスの利用も可能です。(ただし今回ご紹介する名所の大半は県道から離れているため、車でお出かけください)
集落は黒石山や二ッ石山、国見山といった山々の狭間に散在しており、静かな農村の雰囲気が漂います。かつては阿武隈高地の他地域と同様、養蚕や葉たばこの産地として知られていました。産業が変わった現在では、水稲や畜産が中心となりましたが、ところどころで見られる牛車や飼料タンクに牧歌的な雰囲気を感じ取る人も少なくはないでしょう。
中田町は伝統芸能の保存にも積極的で、柳橋歌舞伎や海老根伝統手漉和紙といった味わい深い地域文化が現代に継承されています。特に江戸時代から続く柳橋歌舞伎は、地元の中学生も参加する町をあげた取り組みです。まだ暑い初秋の空気の中、夕暮れに浮かぶ歌舞伎舞台には独特の風情があります。郡山市を代表するにふさわしい、歴史と地域の熱意が感じられる行事です。
町には四季それぞれの魅力がありますが、春の美しさは特筆すべきものです。梅や桃があちこちで見られ、4月中旬からは桜が町じゅうで咲き誇ります。文字どおり「町じゅう」という言葉がふさわしく、有名どころだけでなく民家の軒先や裏山までもが「名所レベル」に綺麗です。三春の滝桜に近い場所柄、名木を目当てに訪れる人が多いのだとは思いますが、ただ通り過ぎるのではなく、ゆっくり味わいながら旅する価値があります。
参考文献:
・中田町文化財写真集編集委員会.『中田町の文化財 第1集』.郡山市中田町郷土史研究会,1977.
・中田町文化財写真集編集委員会.『中田町の文化財 第2集』.郡山市中田町郷土史研究会,1981.
・特定非営利活動活動法人ひなた.『郡青ひなた 第4号』.特定非営利活動法人ひなた,2008.
観光名所として整備が進む紅枝垂地蔵桜

紅枝垂地蔵桜は木目沢地域にある桜の名木です。樹齢約400年と言われる枝垂れ桜で、その姿から「三春滝桜の子孫」と言われています。桜の樹の下には延命を願う地蔵堂があることから、この名が付けられました。
根回りは6.3m、高さは約16mあり、4月中旬〜下旬になると紅色の美しい花が咲きます。滝桜からのアクセスが良いことや駐車場が広く訪れやすいことなどから、すっかり中田町の観光名所として定着しました。
紅枝垂地蔵桜は訪れるたびに整備が進んでいるように感じられます。それだけ地元が整備や集客に熱意を持っているのでしょう。特に裏山(里山)に設けられた「さくら・はなもも回廊」は圧巻です。全長900mの遊歩道は、山全体に広がる桜やはなもも、菜の花を楽しむことができます。まさに「花のトンネル」で、「紅枝垂地蔵桜だけではない」地域一帯の美しさを体感できます。惜しむらくは「はなももと桜を同時に楽しめる機会は相当に限られている」ことです。2025年は4月18日時点ではなももはすでに終わっており、山桜と菜の花の美しさを楽しむにとどまりました。
もっとも隣の三春町は、梅・桃・桜が同時に咲く地域だと言われます。近隣のこの場所も「そういう年もある」のでしょう。近年の異常気象が解消され、この場所で花の共宴を楽しみたいものです。
台風で倒れた忠七桜のその後

今回どうしても訪れたかったのが、牛縊本郷にある忠七桜です。この桜は戊辰戦争後、宗像忠七が会津の人々の霊を慰めるために植えたとされています。歴史に違わず人々の心に届く美しい花を咲かせていましたが、2019年の台風で倒壊し、木が横倒しになってしまいました。
忠七桜のすごいところは、倒壊の後も生き残った枝から花を咲かせているところです。まるで盆栽のようで不思議な光景ですが、「珍しいものを見た」以上に心に触れるものがあります。このような姿だからこそ、木が本来持つ類稀なる生命力を強く感じられるのでしょう。
一般的な「お花見」とは根本的に異なりますが、一見の価値がある風景です。

周辺も整備が進められており、桜並木や菜の花など、色とりどりの花が咲き乱れています。「”郡青ひなた”の取材当時(2008年)に来たときは、こんなに綺麗だったかな?」と思ったほどです。周囲をゆっくり散策してみるのも良いかもしれません。
その他今回訪れた中田町の桜
2025年に新たに撮影した中田町の桜を、辿った経路順に掲載します。
大古山の十一面観音堂の桜

柳橋歌舞伎伝承館の南、大古山地内の小高い丘の上にある桜の巨木です。十一面観音堂が建立されたときに、一緒に植えられたものと言われています。樹齢400年を超える巨木で、観音堂を背に美しい花を咲かせます。
福桜

柳橋から駒板に至る市道沿いにある桜です。奥に咲く枝垂れ桜の素晴らしさは言うまでもなく、手前のソメイヨシノ(エドヒガンかもしれません…)が美しさを引き立てています。
2025年春の時点では「福桜」という名で確かにマッピングされていたのですが、執筆時には何らかの理由で消えています。民家の敷地にかかっていることを考えると、観光地化するのは困難な場所なのかもしれません。ただこれだけの枝垂れ桜は近隣でもあまり見られず、通り過ぎるにはあまりにも惜しいと感じます。
中田町は観光地を訪れなくても、「民家の軒先」や「裏山」の桜が目を楽しませてくれます。ここはそれを象徴するような風景です。
道内の桜

中田町は県道から中に入ると、隘路が山間を縫うように走っています。道内の桜は町を横断する市道の一角にあたり、ナビなしには見つけづらいかもしれません。目印は消防団の詰所と防火水槽です。私は龍ヶ岳公園からアクセスしましたが、ちょうど坂を下った丁字路に位置していました。こんもりとした里山を背に咲いています。
観音寺の桜

道内の桜から西へ向かって間もなく、真言宗・観音寺の境内に咲く桜です。民家に囲まれた場所にあり、恥ずかしながら周辺を何度も訪れているのにこれまで存在を知りませんでした。
山門から民家の隙間を上がっていくと、出迎えてくれるのがこの桜の木です。背後の緑との調和が美しく、寺院の桜ならでは趣があります。観音堂があるのは桜の奥です。『中田町の文化財 第1集』によると、祀られているのは十一面観音のようです。
近くには道内の桜の他、五斗蒔田桜、紅枝垂地蔵桜があるので、併せて訪れると良いでしょう。
参考文献:中田町文化財写真集編集委員会.『中田町の文化財 第1集』.郡山市中田町郷土史研究会,1977.
表の桜

紅枝垂地蔵桜から西へ向かい、県道40号飯野三春石川線を越えると黒木という地域に入ります。東西を山に囲まれ、山際や山中に咲く花が目立つ地域です。中でも一際目を引くのが「表の桜」です。
現地案内板によると、「表」というのは地名ではなく、所有者の鈴木家(かつての庄屋)が「表」と呼ばれていたことに由来するようです。1950年に植樹された比較的新しい桜ではあるものの、「滝桜の孫」「不動桜の子」などと言われ親しまれています。
整備された土地と周囲に植えられた菜の花が美しく、ひと目で名所だと分かります。この日も地元の老夫婦がのんびり花を眺めていたのが印象的でした。
黒木石造三層塔の桜

表の桜の南側、こんもりとした丘の上に「黒木の石造三層塔」があります。桜は丘一帯を覆い隠すように咲いているのが特徴です。
本来「石造三層塔まで行ってこそ」ではあるのですが、害獣避けの電気柵があったため、外部の人間が外して侵入するのもいかがなものかと思い、塔の撮影は行っていません。
『郡山市の文化財』によれば、この塔は鎌倉初期のもので、梵字こそ風化で読めないものの、後年手を加えられた形跡もなく、当時の仏教文化を伝える貴重な史跡のようです。
参考文献:郡山市教育委員会.『郡山市の文化財【昭和58年】』.郡山市教育委員会,1983.
天王桜

黒木石造三層塔の南西、鬱蒼とした山の中にある桜の大木です。ここは場所的に分かりづらく、Google Mapでは一時期「違う場所がマッピングされている」と指摘されていたほどです。目印は山の麓にある鳥居です。
鳥居をくぐり崩れかけた急な石段を上がっていくと、熊野神社があります。その脇を抜けさらに登ると牛頭天王を祀る小さな祠があり、祠を守るように美しい桜が咲いています。牛頭天王の桜で「天王桜」というわけです。
社に咲く桜は独特の美しさがありますが、じっくり鑑賞するには不向きです。石段は狭く急で、桜全体を見られるような平場がありません。どうしても下から見上げる形になってしまいます。撮影だけなら、少し離れた道路上から行う方が良いかもしれません。
町入口の桜

「町入口の桜」は2つの県道(40号と65号)の交点に咲く桜です。県道40号飯野三春石川線は田村町から延々と北上し、ここで御館の町に行き着きます。旅人にとっては「町入口」です。小高い丘の上は墓地になっており、墓守りの桜でもあります。
国見桜
中田町西部にも桜の名所がたくさんあります。上石の不動桜は毎年開花を楽しみに見に行っていましたが、その道中にある「国見桜」は、恥ずかしながらこれまで存在に気づくことができませんでした。それもそのはず、市道は集落を迂回するように引かれており、桜のある山際を通らないのです。
道は狭く急なため、なかなか自動車で入ろうとも思えない道です。坂を登り詰めると木でできた屋根付きの看板があり、正面に見える枝垂れ桜が「国見桜」です。一帯は国見山の麓で、何本もの桜の木が植えられています。名所となる桜以外も美しく、特に看板を覆うように咲くソメイヨシノは格別です。じっくり桜を見ていたいのですが、車を止めておく場所がなく、対向車とのすれ違いにも留意が必要です。
正林寺

国見桜のすぐ北にあるのが、真言宗の正林寺です。境内の端、道路にかかるように枝垂桜が咲いています。ただ付近の桜とは若干開花時期がずれているようで、こちらは散り始めの状態でした。今回は4月18日に来訪していますが、より早い時期に来ると国見桜と両方を楽しめるかもしれません。
国見稲荷神社の桜

さらに歩を進めると国見稲荷神社があります。こちらも桜の名所として数えられていますが、今回は付近の家が工事をしていたこともあり、車を止めておける場所が全く見当たらず、泣く泣く表の道路から望遠で撮影しました。「そこにある」と知っていれば、長い石段と途中に咲く花を見ることができます。
この桜は上部に枝がなく下に花が集中しており、やや花数が少なく感じられます。何かしらの災害に遭ったのかもしれません。
紅枝垂地蔵桜だけじゃない!中田の桜は一日楽しめる
福島に移住してから、桜は「じっくり鑑賞するもの」になりました。一箇所で花を見ながらお酒を飲んだり、仲間と騒いだりといった「お花見」はいつの間にか全くしなくなってしまいました。桜の名所を回ったり、あまり知られていないスポットを発見したりといった「観光スタイル」「冒険スタイル」が定着し、福島じゅうを歩き回ってきました。
そんな中でも、中田町は最も面白い場所の一つです。この町は「その辺にある桜」が美しく、特に目的地を決めなくても、さまざまな場所で満足のいくお花見ができます。道は狭いですが、路地に入ってみると大小の山々が織り成す風景の中でお気に入りの桜を見つけられますよ。
郡青ひなたとは
「郡青ひなた」は風土や文化、文学といった、他誌面とは一味違った視点から町を紹介していく「観光文芸誌」です。観光地だけに留まらない「何気ない美しさ」、あまり知られていない地域芸能や文化などを広くピックアップし、文芸誌的要素と観光情報誌的要素の両面から、福島県の魅力を紹介しています。
誌名は、空や海が最も綺麗な時間に見せる「群青」色と、編集部が長年拠点を置いていた「郡山」をかけ、「郡青(ぐんじょう)」という造語を作りました。また作品を通して温かな「ひなた」をつくっていきたいという思いを込めています。
現在、筆者の木村が隣県に引っ越したことで、新たな取材は進めにくい状態です。これまでのストックを、少しずつ公開していけたらと思います。
ライティングを承ります
現在、筆者の木村はWebライターとして働いています。SEO記事だけでなく、企業のブランディング記事、インタビュー記事、LPのライティングなどを幅広く行います。得意ジャンルは教育、児童福祉、起業、転職、就活、旅行、日本の民俗芸能などです。ブログ記事を通してアクセス数を増やしたい事業者様、個人事業主様からのご依頼を承っております。「AIに負けない熱量」「小説や詩を専門にするからこその表現力」が魅力です。最近はchatGPTを駆使し、文体を自在に変えるサービスや、AIO対策も行うようになりました。ご興味がある方は、以下サイトからお問い合わせください。
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