田村町の史跡と風景 - 郡青ひなたweb - Page 3
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東部森林公園

田村町金沢(かねざわ)

 金沢調整池(金沢ダム)を望む新しい公園。遊歩道を歩きながら森林散策を楽しめる。田村町が誇る豊かな自然を、四季折々に感じることができる。バーベキュー広場も完備されている。

住所:郡山市田村町金沢字大六149-1 
TEL 024-955-4001
休園日:毎週火曜日、12/28〜1/4

救民の碑

田村町栃山神(とちやまかみ)

 天明(てんめい)年間(1781年〜1788年)の大飢饉を伝え、住民の悲惨な様子を記した石碑。県道40号飯野三春石川線沿い、不動霊園の脇にひっそりと佇む。

ザクの磨崖三十三観音

山頂に建てられた小さな社。
線が細いため画像では見にくく、少々補正をした。実際にはもっと自然な花崗岩の色合いである。

田村町糠塚ぬかづか()

 先に紹介した大供の磨崖三十三観音と同様、岩肌に刻まれた西国三十三観音。ここも短期巡礼型で、一日で参拝巡礼ができる。文化2年(1805年)の凶作で亡くなった人達を供養し、災いを取り除く意味が込められている。
 国道49号から下滝鉱泉(ザクの湯)の看板を北へ入り、鉱泉近くまで進む。権現山と呼ばれる山の頂上に位置するため、短距離ではあるが徒歩で山を登る。
 なお、糠塚地区はこちらで紹介したとおり、古くから三匹獅子が伝えられ、周辺では最古と考えられている。今も岩ヶ作にある菅船(すがふね)神社の秋季例大祭にて、毎年11月3日に奉納されている。

基幹農道からの風景

二枚とも同じ場所で撮影。こちらは7月の風景。
同、11月の風景。

田村町糠塚

 国道49号、二瀬(ふたせ)中学校の脇から、北方の山間部へ向けて、二車線の高規格な道が伸びている。これは基幹農道として整備途中の道で、中田町の中津川までが完成している。(他に中田町内で一部完成区間がある)
 長い坂道を上りきると、写真のような開けた風景が広がる。阿武隈山系の山々を遠くに望み、初夏にはこの地方の特産品であるタバコの葉が美しい。車の通行量は少なく、非常に気持ち良くドライブできる穴場スポットだ。

一盃山(いっぱいやま)

田村町田母神から撮影。今回は田村町の風景として取り上げた。

中田町中津川、田村郡小野町浮金(うきがね)

 盃を伏せた形をしていることから名付けられた、阿武隈山系の名山。郡山市と田村郡小野町との境界に位置する。黒甫(くろぼ)登山口、馬場登山口が田村町田母神(たもがみ)に属する。山頂までは1時間程度。

姉屋(あねや)観音

田村町田母神

 坂上田村麻呂が戦勝祈願に三体の観音像を造り、そのうち一体をここに祀った。他の二体は小野町の東堂山(とうどうさん)観音、田村市の入水(いりみず)観世音。
 ここは郡山市と小野町との境界にほど近く、県道13号小野田母神線(通称新町街道)沿いにある。

情報が古い、掲載が不適切な事項などありましたら、お問い合わせフォーム、あるいは以下コメントよりお知らせください。特に当事者の方や地元の方、何卒ご教示ください。

  1. 守山史談会会長 佐藤新一 より:

    三春田村氏は義顕の代に日和田の八丁目から三春に移りました。守山は三春田村氏の出城はありましたが、本城ではありません。この城を本格的な石垣のある城にしたのが蒲生氏郷の与力の大名である田丸直昌です。
    鎮守山泰平寺(現田村神社)に坂上田村麻呂公が祀ったのは一寸八分の聖観世音菩薩です。征夷に向かうときに自身の髷の中に納めてきたものを、この山に祀り、鎮守山泰平寺としました。今もこの観音菩薩像は年に2回ほどご開帳されてます。
    大元帥明王は朝廷の敵を調伏する仏様です。よって全国的に見ても存在が知られているのは4体のみです。こちらも年に2回ご開帳されてます。奈良秋篠寺の大元帥明王像は年に1回ご開帳されてます。

    • shirahoyu より:

      編集者の木村です。
      貴重な情報をありがとうございます。
      コメント欄を設置後、地元の歴史家の方からご教示いただけたのは今回が初めてで、大変嬉しく思います。
      近日中にご教示いただいた内容を本文にも反映いたします。
      ありがとうございました。

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