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田村町の史跡と風景

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 このサイトでは、主に2007年~2013年にかけて取材をした記事を掲載しています。そのため、情報が古くなっていたり、掲載が不適切なものがあるかもしれません。
 取材対象者の方をはじめ、地元の方、歴史に詳しい方など、もしもお分かりになる点がございましたら、コメント欄、またはお問い合わせフォームより、ご教示いただけますと幸いです。
 また、観光客の方で実際にお出かけになる場合は、掲載している自治体観光課、観光協会等へ日程をご確認ください。特に新型コロナウイルスの流行以降、行事自体を開催していない場合があります。当サイトは、性質上、最新の観光ガイドにはなれませんので、ご容赦ください。

下行合(しもゆきあい)の風景

県道73号二本松金屋線から。

田村町下行合

 市街地方面から阿武隈川を渡り、すぐの下行合地区。穏やかな農村地帯が広がり、川向こうには郡山駅のシンボルであるビッグアイや、商業ビルなどを望む。特に県道73号二本松金屋(かなや)線からの景色は良い。
 付近には約15000年前の石器が発掘された宮田A遺跡があり、郡山市歴史資料館に石刃が展示されている。

阿武隈川の河原

日大工学部付近より。

田村町徳定(とくさだ)

 田村町西部の阿武隈川流域には、日本大学工学部をはじめ、日大東北高校、帝京安積(あさか)高校など学校が多い。学園都市的な街並みで、春は大学の桜が満開になり、美しく彩られる。土手の道をゆっくり散策しながら、川の風景を楽しむのもいいだろう。

谷地(やち)観音

永徳橋から東へ直進し、入り組んだ道を入っていく。

田村町徳定

 徳定は過去には「木賊(とくさ)田」と書き、坂上田村麻呂生誕の伝説が残る地である。田村麻呂の母は阿口陀媛(あくたひめ)といい、周辺には二人に関する様々な言い伝えがある。その阿口陀媛が祀られているのが、谷地観音だ。
 現在は日大工学部が近いこともあり、アパートやマンションと田畑とが混在している一角である。

御代田n(みよだ)の風景

菅布禰神社
菅布禰神社前、水郡線の踏切付近。すぐ南に御代田小学校がある。
阿武隈川の流れ。自転車道が整備されており、車は途中までしか入れない。

田村町御代田

 須賀川(すかがわ)市との境界にある御代田は、阿武隈川沿いの集落で、水が豊富であったことから、縄文晩期には人が住み着いていた。丘陵地への入り口にある菅布禰(すがふね)神社は、田村氏が治めた星ヶ城(御代田城)があった場所ではないかと言われている。神社前の水郡線の踏切からは、開けた美しい景色が見られる。晩春には芝桜が咲く。

田村神社

階段を上ると仁王門があり、その先に拝殿がある。
江戸時代の延宝6年〜8年に検地が行われた際の、奉謝としての検地燈籠。鎮守様にあるのは珍しい。
長い階段を上り拝殿へ。

田村町山中(さんちゅう)

 坂上田村麻呂が征夷に向かう際、自身の髷の中に収めてきた一寸八分の聖観世音菩薩を祀ったのが始まりとされる。当時は鎮守山泰平寺といった。現在もこの像は年に2回御開帳されている。
 また朝廷の敵を調伏する仏様である大元帥明王(だいげんすいみょうおう)も、もう一体の本尊として祀られている。こちらも年に2回、聖観世音菩薩と同時に御開帳される。存在が知られているのは全国で4体だけと、大変貴重である。
 明治初期の神仏分離で田村大元帥神社、さらに田村大元神社、田村神社と改称された。

 現在は国道49号がすぐ脇を通り、道路からも鬱蒼とした森が見える。ご本尊以外にも絵馬や厨子(ずし)、蒔絵など様々な文化財を有する。元禄2年(1689年)には松尾芭蕉も訪れたとされる。桜や紅葉の名所としても知られ、町民に愛されている。

※守山史談会様より、正確な歴史について情報をいただきました。2022年12月、内容の訂正と追加を行いました。大変貴重な情報をご教示いただき、感謝申し上げます。

大安場(おおやすば)史跡公園

平成21年に全面オープン。市民憩いの場としても親しまれ、郡山の新しい名所の一つとなった。

田村町大善寺(だいぜんじ)

 平成3年に発見された東北最大の前方後方墳、大安場古墳(国史跡)を有する公園。4基の円墳もあり、園内を一巡しながら見学できる。併設されたガイダンス施設では、古墳からの出土品などが見られる他、映像室や体験学習室で歴史を学ぶことができる。

住所:田村町大善寺字大安場160番地
TEL 024-965-1088

情報が古い、掲載が不適切な事項などありましたら、お問い合わせフォーム、あるいは以下コメントよりお知らせください。特に当事者の方や地元の方、何卒ご教示ください。

  1. 守山史談会会長 佐藤新一 より:

    三春田村氏は義顕の代に日和田の八丁目から三春に移りました。守山は三春田村氏の出城はありましたが、本城ではありません。この城を本格的な石垣のある城にしたのが蒲生氏郷の与力の大名である田丸直昌です。
    鎮守山泰平寺(現田村神社)に坂上田村麻呂公が祀ったのは一寸八分の聖観世音菩薩です。征夷に向かうときに自身の髷の中に納めてきたものを、この山に祀り、鎮守山泰平寺としました。今もこの観音菩薩像は年に2回ほどご開帳されてます。
    大元帥明王は朝廷の敵を調伏する仏様です。よって全国的に見ても存在が知られているのは4体のみです。こちらも年に2回ご開帳されてます。奈良秋篠寺の大元帥明王像は年に1回ご開帳されてます。

    • shirahoyu より:

      編集者の木村です。
      貴重な情報をありがとうございます。
      コメント欄を設置後、地元の歴史家の方からご教示いただけたのは今回が初めてで、大変嬉しく思います。
      近日中にご教示いただいた内容を本文にも反映いたします。
      ありがとうございました。

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