柳橋 菅布禰神社秋季例大祭 - 郡青ひなたweb - Page 2
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三匹獅子舞の様子。柳橋はひょっとこが入らないタイプで、このように三匹の獅子が境内を動きまわる。こちらは地元の男の子達。

獅子舞

 次に「柳橋の獅子舞」として郡山市の重要無形民俗文化財に指定されている三匹獅子舞を見てみよう。

 柳橋では比較的昔のままの形式を保ったまま伝承されており、殊に踊りの内容に関しては昔と変わっていない。太郎獅子、次郎獅子の男獅子が2匹と、女獅子(花子獅子)が1匹で構成される。腰に結びつけた小太鼓を叩きながら、男獅子達が女獅子を取り合うように舞う。15分程度であるが、子供達の息のあった姿は見事だ。
 昔は地元での定住という観点から、7歳から12歳までの長男だけが、獅子としての参加を許されていた。今は少子化の影響もあり、希望者制に変更された。こちらも御舘小学校の子供達の中から選出され、比較的動きの少ない女獅子を年少の子が演じる。逆に動きの多い男獅子は、経験者の子が担うこととなる。年長の男獅子が卒業で抜けると、前年女獅子を演じた子が今度は男獅子を担当する。
 指導は保存会の役員が行う他、卒業した子に太鼓等で残ってもらい、うまく継承できるように工夫されている。

天狗の面を付けて舞う、「猿田彦」。
菅布禰神社はケヤキの大木も見所の一つ。

太々神楽

 最後に、こちらも郡山市指定重要無形民俗文化財の柳橋の太々神楽を紹介したい。

 こちらは2つの舞とは一転し、大人達による奉納となる。太々神楽というと、一般に神主が舞うことがほとんどであったが、ここでは氏子達が舞うのが何よりの特色だ。
 もともとは、江戸時代から近郷近在の神職によって舞われており、明治初期の大政令によって一般の人が舞うことができるようになった。柳橋ではその頃に氏子達に受け継がれたと言われている。舞型が崩れた時には神職からの指導を受け、明治26年に現在の舞型が成立、その後も指導を受けながら、氏子達によって継承されてきた。

 現在、「楽人(がくじん)」と呼ばれる舞手は総勢15人ほど。演目に応じて1人〜5人程度で舞う。他に笛や太鼓、鼓が加わるが、楽器の習得はいつも苦労する点の一つだという。楽人は舞以外に様々な楽器にも対応できるよう、普段から練習を重ねている。
 この神楽は出雲流で、面をつけて舞う「大神楽」が26座、面をつけない「小神楽」が12座と非常に種類が多い。地域的に三春や船引(ふねひき)方面との結び付きが強いため、郡山市内で見られる太々神楽の中では独特の舞い方だ。踊るような所作は躍動感があり、リズミカルなところは何よりの特色だろう。また、演奏も華やかで技巧的である。
 2011年の秋季例大祭では、大神楽から(へい)の舞・猿田彦(さるたひこ)大賀牟津美(おおかむつみ)が、小神楽から一人太刀(たち)・三人太刀等、多くの演目が奉納がされた。

 練習は普段から機会を見て集まって行なっている。皆仕事をしながらなので、思うように時間が取れず、夜7時〜9時頃に集まって行うという。それに加え、農繁期から解放される冬には、10日ほど寒稽古を行なっているそうだ。ここ数年で若い人達の参加も増え、2年間で3〜4名が新たに加わった。
 楽人として長年尽力してきた宗像良三(むなかたりょうぞう)さんは、「震災後のこのような時期だからこそ、昔からある伝統芸能を大切に守っていきたい。指導者を増やし、子供達も含めて、地元の人達に広く魅力を伝えていきたい」と熱く展望を語ってくれた。
 現在、保存会では柳橋保育所で園児達に太々神楽を教えるなど、子供達に郷土芸能を伝える努力をしている。子供が習うことで若い親世代も興味を持ち、参加への糸口にもなるのだそうだ。
 こうした取り組みが広く認知され、最近では他地域から「お祭りで舞ってほしい」という要望が多く寄せられるようになった。中田町内だけではなく、近隣の小野町や三春町にも積極的に出向いて奉納に協力している。
「その地域のお祭りを盛り上げることができ、柳橋の太々神楽の魅力も伝えることができるなら」(宗像さん)と、今後も前向きに要請を受けていくつもりだ。

 柳橋では柳橋歌舞伎があまりにも有名になったが、菅布禰神社への奉納はそれだけではない。10月に行われる柳橋が誇る伝統行事に、是非多くの人に触れてもらいたいと思う。特にレパートリー豊かな太々神楽は必見だ。

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