天栄村 歴史・民俗の旅 - 郡青ひなたweb - Page 3
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木地師が暮らした集落

 奥羽山脈の懐に飛び込み、国道118号を西へ向かうと間もなく長い九十九折りの坂道となる。鳳坂(ほうさか)峠だ。かつては「這う坂峠」=「鳳坂峠」になったと言われるほどの山道。国道整備後は徐々に通行しやすくなっていったが、ついに令和3年にトンネルが貫通し、4年にも供用開始になる見込みとのこと。羽鳥・湯本方面へのアクセスが格段によくなるだろう。

 まずは羽鳥湖高原の方から見ていこう。この一帯は羽鳥湖と共にリゾート地として開発された場所だが、グランディ羽鳥湖スキーリゾートへと向かう途中に、板小屋(いたごや)遺跡と呼ばれる場所がある。
 案内板のある入り口から、山道を徒歩で10分程下ると、墓碑群が見えてくる。木で加工品を作り暮らしていた人々の集落跡で、天保の大飢饉で村が消滅したと言われている。

板小屋遺跡

 蒲生(がもう)氏と共に会津入りした近江の木地師の集団が暮らした場所。最盛期には28戸が生活していたとされる。大変に山深い場所で、看板がなければまず気づけない。墓碑が散在する様子は独特な雰囲気で圧巻。

馬頭観音座像

 国道へ戻り、次は湯本地区へ。岩瀬湯本温泉については、こちらの特集記事をご覧いただきたい。
集落を見下ろす山の上に、鎌倉から室町時代の作と言われる馬頭観音座像があり、毎年7月には馬頭観音祭りが行われる。

馬頭観音座像

 県の重要文化財である馬頭観音座像が安置されている観音堂。岩瀬湯本温泉のすぐそばで、観音堂からほこら群を通り、温泉八幡神社まで歩いていけるように整備されている。

馬入(ばにゅう)

 最後に、県道235号羽鳥福良線で郡山市湖南町方面へ抜けることにする。この道は馬入峠を通る旧鎌倉街道。峠には上杉景勝が徳川家康との戦いに備えてつくったとされる堡塁(ほうるい)跡が残されており、戊辰戦争時には会津軍が修復し、利用した。

この道についてはこちらの記事をご覧ください。

馬入峠堡塁跡

 関ヶ原の戦いの時、石田三成に味方した上杉景勝が、徳川家康を敵に回し、会津を守るために構築。そのときには実際に会津攻めは行われなかったが、後の戊辰戦争の折、会津藩がこれを修復し、新政府軍の攻撃に備えた。

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