一里塚と法燈国師
大里城から県道282号十日市矢吹線を西進する。景色が山に抱かれ始め、間もなくで
また、地区内には鎌倉時代の高僧で、中国から日本へ味噌の作り方を伝えた法燈国師の座像が安置されている。
安養寺の一里塚跡(写真上)
一里塚は江戸時代に徳川家康の命により、全国の主な街道を整備した際、江戸日本橋を基点に、一里(約4キロ)ごとに築かれた。
法燈国師座像(写真中・下)
中国から日本へ味噌の作り方を伝えたと言われている、鎌倉時代の高僧。座像は
焼き物の里
安養寺から山間の道を北へ向かう。現在は地区の人々の生活道路のようだが、昔はこの辺りも会津街道の一部だったのかもしれない。
国道294号に交わると、すぐ向かいが
かつて白河から会津へ向かう会津街道沿いには、7つの焼き物があった。人の往来や、粘土質の土が採れたことが発展の理由であったのだろう。しかし鉄道網の整備が進み、瀬戸焼など安価な焼き物が入ってくるようになると、次第に衰退を余儀なくされ、徐々にその数を減らしていった。
後藤焼も100年程前に途絶えたと言われている。会津の本郷焼のみが残された現状は、何とも淋しい限りである。
後藤焼窯跡
100年程前に途絶えたとされる後藤焼。近年復活の兆しもあったようだが、現在は災害により堤防が造られるなどし、往時の面影はほとんど感じ取れない。
地域を支えた「馬」
さて、牧之内宿へ行こう。ここは宿場町の風情が今も残されている数少ない場所の一つだ。間口が狭く奥行きのある家並みと、屋号が特徴。
明治の20年代から昭和の初めにかけ、毎年9月に馬の競り市が3日程開催され、その期間は「三日東京」と言われるほど大勢の人々で賑わったという。当時は田畑を耕すにも、移動をするにも馬が必要で、人々にとってそれほど大切な動物だったということだ。
「牧之内」という地名も、「牧場」の「牧」に由来しており、当時は牛よりも馬の放牧場が多かったことから、馬のいる地=「牧之内」というように捉えることもできそうだ。馬という動物が、どうやらこの地域を語る上で一つ重要なキーワードとなっているようである。
国道294号と118号とが交わる辺りの
牧之内宿
江戸時代から続く宿場町。歴史の流れを感じさせてくれるスポットだ。写真上が現在の表通り、下は一本裏の通り。どちらも街道らしい雰囲気が漂う。
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