木幡の幡祭り - 郡青ひなたweb - Page 2
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権立の少年達による胎内くぐり。後ろが胎内岩。
三重塔。ここから本殿へと階段を駆け上がる。これは最後だから元気よく、という考えで始まった習慣なのだそうだ。
本殿前で一礼の後、万歳三唱。

長い幡を揚げることが木幡の特色

 国内に「旗祭り」自体はいくつか存在するが、木幡は他地域とは違う大きな特徴を持つ。それは9mにもなる長い幡を持ち歩く点である。重量は実に8キロにも及び、それが総勢100本程度で行列する。華やかなはずである。他地域との違いを強調するため、地名の漢字を宛てがって「幡祭り」と称しており、旗のことも「幡」と表記する。それだけの誇りを地元の人達が持っているということである。
 この幡はかつては反物地で作られ、祭礼が終わった後は浴衣や布団に使用された。身につけることによって神のご加護に預かり、健康維持になると信じられていたためである。それが一枚、二枚と変わっていくうちに反物地の幡は姿を消し、現在の五色の幡へと姿を変えた。
 幡の作成は9つの堂舎で行っている。材料である竹に藁を巻いて整え、縫った幡をくくりつける。統一感を出すため、衣装も白い装束で揃える。基本的に地元の人達による行事であるが、毎年岩代(いわしろ)地区や隣接する川俣(かわまた)町からの参加もあるそうだ。さらに近年は、原発事故の影響で避難している浪江(なみえ)町の人達の幡も上げるようになった。
 先達幡(せんだつばた)という白い幡を先頭に、大幡、小幡、子供の幡と並ぶ。150本程度が行列する年もあったが、現在は参加人数の関係で大幡が30、小幡が60本程度、あとは協賛者の幡となっている。

見所は本殿前や胎内くぐりなど

 朝の9時頃出立式を行い、10時頃から歩き出す。第二社務所に立ち寄ってお昼休憩、午後は林道桜畑(さくらはた)木幡線を登って行く。途中羽山(はやま)神社に立ち寄って、15時30分頃に本殿に到着。行程はおよそ8キロにも及び、その大半は上りの坂道だ。特に羽山神社へと向かう道は急勾配となり、重い幡を持って登る大変さは想像に難くない。
 見所はやはり幡の美しさ、勇壮さに尽きる。中でもゴールとなる隠津島神社本殿前は、幡を持った人達が全速力で階段を駆け上がり、勇壮さに一層の拍車がかかる。林道を行列中には、高低差を利用し随所で行列の全景を眺めることも可能だ。
 なお、行列以外にも是非見ておきたいのが、途中の羽山神社で行われる「胎内(たいない)くぐり」である。これは少年が成人になるための儀礼で、木幡地区で生まれた15歳から20歳の男子は必ず経験するのだという。男子達は「権立(ごんだち)」と呼ばれ、行列では宮司や総大将と共に先頭の方を歩く。手には幡の代わりに木でできた男根を模したものを持つ。そして、羽山神社に到着すると、女性の象徴である岩と岩の間をくぐり抜けるのだ。これにより一人前の男として認められるようになり、翌年からは大人として幡を持つことが許可されるのである。
 地形的に狭い場所で行われるため、なかなか正面から見ることは難しいが、祭礼が本来持つ厳かな側面が見られる儀式である。

参加者を増やし、外部の行事にも参加していく

 第62代宮司の安部匡俊さんは、「この祭りには負け戦を勝利へとつなげていくロマンがある」と語る。現代においては戦勝祈願は人々の様々な願いへと変化したが、参加者達が大きな気構えを持っていることに変わりはない。
「重い幡を持って列を乱さずに行列している様からは、各人の気持ちを感じてもらえることと思います」
 今後も少子高齢化の波に飲み込まれることなく、参加者を増やしていきたいとのことだ。一本の幡につき、最低五人、また一本二万円の金額が必要にはなるが、やりたいという人がいれば受け入れていく方針だ。
 また、より広く認知してもらうために、外部の行事にも積極的に参加していく。2012年は郡山市で行われた「ふるさと祭り」など、いくつかの行事に参加した。過去には大阪御堂筋パレードにも3回参加している。
「魅力を知ってもらうことで、より多くの方に幡祭りを見にきていただきたいと思っています。写真コンクールもありますので、ぜひ奮ってご出品ください」(安部宮司)
 今後も東和地区を代表する祭りの一つとして、より発信力を高めていく。

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