党本にとっての祇園祭とは
2011年に党本を受け持った中町の高橋恭平さんにお話を伺った。
高橋さんの家は江戸時代から現在の場所に立ち、古くから祇園祭に携わってきた。これまでに4回党本を経験している。今回も畳を張り替え、家を解放するための様々な準備を行なって臨んだ。
「昔は御党屋に入るのは町の人達の誇りであり、周辺からは憧れの的でした」と高橋さん。
かつては前述のとおりに33間1組で割り当てられ、地域の人達は原則全員が参加していた。現在の国道121号沿い、中心市街地として商店が立ち並ぶ一帯が、その範囲として該当する。
時代が巡り、若者の流出や信仰上の問題等もあり、現在は10組にまで減少してしまった。3年間関わるしきたりのため、休む間もなくすぐにまた当番が回ってくる。仕事量が減るわけではないので、費用の捻出にも苦心するのだという。それによって参加者がまた減ってしまうことを、高橋さんは憂慮している。
それでも祭りが近づくにつれ、やはり気持ちが引き締まっていく。
「私達は魅力を語れるほどの状態にはないんです。略すことなく、一つ一つを形式に則って継承していく。一生懸命やるばかりで、とにかく必死です」
祇園祭では御党屋が祭りのほぼ全ての運営に当たっている。実行側が御党屋、神事を行うのが宮司と考えれば分かりやすいだろう。党本はその御党屋を仕切り、時間内に決められたことをきっちりこなしていくという重責を担う。祇園祭のしきたりはかなり細分化されているため、覚えるだけでも一苦労である。加えて、客の接待やマスコミ対応も行わなければならない。
「大変だとは思いますが、次の代に休止することなくこの祭りを伝えていきたい。ここに生まれて暮らしていれば、祭りは生活の一部のようなものです。やめるのは簡単ですが、継承への様々な努力を行い、町との連携も深めていきたいと思っています」
町に暮らす者の誇りとして、今後も次代への継承に尽力していく。
祭礼期間中のスケジュール
祭りは3日間行われる。宵祭である22日は、10時から神社で祭礼、直会、夕方から大屋台の運行を始める。この屋台は歌舞伎屋台になっており、前半分が舞台で後半分は楽屋である。西町、上町、中町、本町にそれぞれ1台ずつ、4つの屋台を有す。
運行は「屋台世話人」という専門の組織があり、神社とも御党屋とも関わりがない。祇園祭はこのように様々な組織が主体性を持ちながら独立して運営を行なっており、それでいて一つのまとまった祭りとなっているところも、また大きな特徴であろう。なお、屋台歌舞伎については、こちらのページをご覧いただきたい。
本祭である23日は、午前3時からだ。
午前7時半からは、「日本一の花嫁行列」として有名な
この後、午前10時頃になると神輿が神社から党本へと出発する。到着すると路上で神事が行われる。神様を党本へお招きする大切な儀式である。
神輿巡行は党本内で神事や食事を行ってからだ。昭和26年より巡行に
また、この日も夕方から前日同様に大屋台の運行が行われる。
最終日である24日は、午後に神楽殿で太々御神楽の奉納が行われる。神楽舞の奉仕者は、宮司と神社がある宮本の人々である。平太鼓や笛は屋台のしゃんぎりを務めた人々が担ったが、現在は有志により保存会が組織されている。この神楽は、江戸時代に
党本では神棚を取り払い、来年の当番へ諸道具の引き渡しを行う。
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