国指定重要無形民俗文化財
会津田島祇園祭
取材ご協力:
参考文献
室井康弘 著 「会津田島祇園祭」1987、歴史春秋社
藤田定興 著「神と仏の信仰」(歴春ふくしま文庫)2011、歴史春秋社
日程
7月22日 大屋台運行
7月23日
7月24日
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人々が祭りのもとに結束する
長い歴史を誇る、田島の伝統行事
田島は祇園祭の町である。町の人々が古くから大切に受け継いできたこの祭りは、田島の顔であり人々の誇りでもある。7月22日から3日間の祭礼期間中は、町も人も一段と華やぎ、活気に満ち溢れている。田島の歴史と共に歩んできた、この祭りの魅力を探っていく。
会津田島祇園祭の歴史、形態
祇園祭というと京都の
この祇園 という名は印度の「祇園
田島へは、中世にこの地を治めていた長沼氏によってもたらされた。長沼氏は小山氏より分かれた支族であり、小山氏は藤原氏の子孫である。細部は不明であるが、京都から藤原氏、小山氏、長沼氏と伝えられ、この地に信仰が根付いたのではないかと考えられている。
後の
この祭りの形態は珍しく、田出宇賀神社と、隣りにある熊野神社による共同の祭礼となっている。元々は
現在は平成5年の改正により、7月23日に本祭が行われるよう変更されている。なお、22日が
運営全般を行う御党屋組織
会津田島祇園祭は、
原始古代から、村の祭りの際には村内から神主の役割をする者を出し、その選ばれた人を「頭人」と呼んだそうだ。これが原形であろう。専門の神職に役割が任されてからは「とうや」の果たす役割も変わっていき、村内を組み分けして、順番に祭りの運営にあたっていくようになった。
田島では鴫山城の廃城によって、町は城下町から宿場町へと姿を変えた。家並みに基づき、党屋は間口33
長く20組程度で担当してきたが、昭和42年に1町内1組に合併する動きが出始め、12組となった。さらに平成19年に2組減り、現在は10組で担当している。
御党屋の中で、その年に神役となって祭り全体を司っていくのが「御党屋
御党屋の仕事は多い。自分が党本となる年だけではなく、前年には「請(受)取り」、翌年には「渡し」の行事を行う。3年間祭りに携わるわけだ。
祭りの始まりは1月。実に本祭から半年以上も前である。「御党屋お
次の行事は7月7日であるが、これまでの間に党本の家は様々な準備を行う。祭礼当日は党本の家が神が宿られる神聖な場所となるため、そのための用意が必要になるからだ。畳の張り替え、壁の塗り替え、過去には屋根の葺き替え等も行われていた。
7月7日になると、いよいよ本格的に動き出し、早朝に参道掃除、党本の
また、禁忌事項も設けられる。党本では注連張り後はたとえ身内であっても葬式に出ることはできない。肉類、あるいは2足・4足のものを食べないなど、食べ物に対する制限も加えられる。
こういったしきたりが現代まで守られていることも、祇園祭の大きな特徴であろう。昭和56年(1981年)に御党屋行事が国の重要無形民俗文化財に指定されたのも、このような特性があったからこそだろう。
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