木目沢 の三匹獅子
長い中断を経て復活した、地域が誇る伝統行事
取材ご協力:藤宮昭八郎さん、吉田寿雄さん
写真ご提供:郡山市民文化センター(ご提供、掲載許可)
木目沢の三匹獅子
例年11月3日、木目沢地区、
概ね12時30分頃から。
※時間は郡山市立中田公民館等へ要確認。
郡山市立中田公民館:TEL 024-973-2951
※情報提供ご協力のお願い※
このサイトでは、主に2007年~2013年にかけて取材をした記事を掲載しています。そのため、情報が古くなっていたり、掲載が不適切なものがあるかもしれません。
取材対象者の方をはじめ、地元の方、歴史に詳しい方など、もしもお分かりになる点がございましたら、コメント欄、またはお問い合わせフォームより、ご教示いただけますと幸いです。
また、観光客の方で実際にお出かけになる場合は、掲載している自治体観光課、観光協会等へ日程をご確認ください。特に新型コロナウイルスの流行以降、行事自体を開催していない場合があります。当サイトは、性質上、最新の観光ガイドにはなれませんので、ご容赦ください。
中田町木目沢地区では古くから三匹獅子が伝承されてきた。毎年地元の鎮守様である
この由来は定かではないが、一説によると平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征討でこの地を訪れた際、凶作で民衆が疲弊している様子を見、子供達に獅子舞を教えたことが始まりであると言われている。凶作は悪魔の仕業であり、三匹獅子を舞うことで悪魔祓いができ、五穀豊穣を祈願することができると信じられていた。
この伝承が確定的なものならば、これまでに1200年余りが経過していることになるが、確証付ける史実はなく、伝承として語られるに留まっている。実際に確認できるものから推定すると、田村
以降、戦争で二度の中断を余儀なくされたが、そのたびに復活を遂げてきた。第二次世界大戦前後には36年もの長きにわたって中断したが、後世に伝統を伝えていきたいという強い思いから、わずかな経験者を頼りに復活への努力が重ねられた。そうしているうちに地元の伝統芸能として定着していき、昭和57年には郡山市重要無形民俗文化財の指定を受けるに至った。
この三匹獅子は北関東系の流れを汲み、茨城県から
獅子は太郎獅子、次郎獅子、
獅子を演じるのは地元の小学生達だ。昔は継承への観点から、家を確実に継ぐ長男だけに制約されていたが、現在はそうした決まりはない。地域の学校では、総合学習の時間に伝統芸能を教えており、子供達には興味や素養がある。そのため、夜に2週間程度みっちり練習を行うことで、立派に舞ができるようになるという。中学生も手伝い、子供達同士で教えあうようにもなっていった。
長年三匹獅子に携わり、昭和46年には公民館の分館長として復活に尽力した
近年は郡山市民文化センターの2階正面左側に、この三匹獅子の姿がタペストリーとして掲げられるようになった。これにより多くの郡山市民、近在の人達の関心を集め、見に来る人も増えたという。
「やはり秋祭りに三匹獅子がないと淋しい。伝統をできるだけ多くの子供達に伝え、その子供達が今度は教える側に回ってくれれば」と藤宮さん。
長い中断から復活を遂げた三匹獅子は、地域の思いを乗せ、郷土の誇りとして子供達に受け継がれていく。
情報が古い、掲載が不適切な事項などありましたら、お問い合わせフォーム、あるいは以下コメントよりお知らせください。特に当事者の方や地元の方、何卒ご教示ください。