木目沢の三匹獅子 - 郡青ひなたweb
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木目沢(このめざわ)の三匹獅子

長い中断を経て復活した、地域が誇る伝統行事

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取材ご協力:藤宮昭八郎さん、吉田寿雄さん
写真ご提供:郡山市民文化センター(ご提供、掲載許可)

木目沢の三匹獅子
例年11月3日、木目沢地区、三渡(みわたり)神社にて。
概ね12時30分頃から。
※時間は郡山市立中田公民館等へ要確認。
郡山市立中田公民館:TEL 024-973-2951

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木目沢地区の鎮守様、三渡神社。
地元の人達やカメラマンに見守られ、元気に舞う子供達。2013年11月3日撮影。
2011年からは女の子も加わっている。各地の三匹獅子を見ても珍しい試みだ。2013年11月3日撮影。
郡山市民文化センター、二階正面左側のタペストリー。
郡山市民文化センターご提供。

 中田町木目沢地区では古くから三匹獅子が伝承されてきた。毎年地元の鎮守様である三渡(みわたり)神社で、11月3日に行われる秋の例大祭にて奉納されている。
 この由来は定かではないが、一説によると平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征討でこの地を訪れた際、凶作で民衆が疲弊している様子を見、子供達に獅子舞を教えたことが始まりであると言われている。凶作は悪魔の仕業であり、三匹獅子を舞うことで悪魔祓いができ、五穀豊穣を祈願することができると信じられていた。
 この伝承が確定的なものならば、これまでに1200年余りが経過していることになるが、確証付ける史実はなく、伝承として語られるに留まっている。実際に確認できるものから推定すると、田村大元(たいげん)神社(三春町)の獅子頭に寛文(かんぶん)8年(1668年)の文字が記されており、三春はその当時、藩の中心地であったことから、この頃から各地に広まっていったのではないかと考えられている。
 以降、戦争で二度の中断を余儀なくされたが、そのたびに復活を遂げてきた。第二次世界大戦前後には36年もの長きにわたって中断したが、後世に伝統を伝えていきたいという強い思いから、わずかな経験者を頼りに復活への努力が重ねられた。そうしているうちに地元の伝統芸能として定着していき、昭和57年には郡山市重要無形民俗文化財の指定を受けるに至った。

 この三匹獅子は北関東系の流れを汲み、茨城県から久慈(くじ)川沿いに常陸大子(ひたちだいご)、石川等を経て伝わったものだと考えられている。阿武隈山系には現在も数多くの三匹獅子が残されており、中田町でも他に高倉、柳橋(やなぎはし)(こちらの特集を参照)に現存している。周辺では田村町の糠塚(ぬかづか)が最古であると考えられ、木目沢はこことよく似た形式を取る。舞唄が10首で、長唄がそのうち2首である。北部に行くに連れて歌詞が減っていき、田村大元神社のものには唄がない。
 獅子は太郎獅子、次郎獅子、()獅子の三匹。兄と弟である太郎、次郎が、雌獅子を取り合うように舞う。これに唄、笛、太鼓が加わり、勇壮さに拍車をかける。特徴は踊りや衣装の華やかさ、それに唄である。なお、木目沢の三匹獅子には、ひょっとこは入らない。
 獅子を演じるのは地元の小学生達だ。昔は継承への観点から、家を確実に継ぐ長男だけに制約されていたが、現在はそうした決まりはない。地域の学校では、総合学習の時間に伝統芸能を教えており、子供達には興味や素養がある。そのため、夜に2週間程度みっちり練習を行うことで、立派に舞ができるようになるという。中学生も手伝い、子供達同士で教えあうようにもなっていった。

 長年三匹獅子に携わり、昭和46年には公民館の分館長として復活に尽力した藤宮昭八郎(ふじみやしょうはちろう)さんは、「地域全体で子供達が主役という意識を持ち、支え合いながら三匹獅子を継承してきました」と語る。練習や本番の支度など、大人達が積極的に参加し、子供達を支えている。子供達の中からは「やってみたい」という声が増えていき、2011年からは女の子も獅子として参加するようになった。
 近年は郡山市民文化センターの2階正面左側に、この三匹獅子の姿がタペストリーとして掲げられるようになった。これにより多くの郡山市民、近在の人達の関心を集め、見に来る人も増えたという。
「やはり秋祭りに三匹獅子がないと淋しい。伝統をできるだけ多くの子供達に伝え、その子供達が今度は教える側に回ってくれれば」と藤宮さん。
 長い中断から復活を遂げた三匹獅子は、地域の思いを乗せ、郷土の誇りとして子供達に受け継がれていく。

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