高籏 鉱山の歴史
山の中に形成された鉱山の町
写真:高旗山山頂からの景色。晴れていれば猪苗代湖が見られる。郡山市街地方面の眺望も見事。
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かつて日本にはおびただしい数の鉱山が存在し、時に日本の近代化の原動力となってきた。鉱山を中心に町が形成され、道路や学校、店舗など、様々なものが山の中に建設された。戦後、日本の高度経済成長に合わせて、様々な理由から多くの鉱山が閉山を余儀なくされ、それと同時に集落も自然と消滅していった。
ここ三穂田町にあった高籏鉱山もその一つで、金銀銅などを産出していた。三穂田公民館所蔵の史料によると、所在地は安積郡
この歴史は非常に古く、旧会津領主
昭和20年代の統計によると、当時は500人強の人口があったとみられ、集落には共同浴場の他、理髪店、食堂、診療所、分校などが存在し、生活に必要な機能だけではなく、映画などの娯楽施設も兼ね備えていた。熱海町の
現在の高旗山は、週末になると登山客で賑わいを見せる。当時の鉱山の面影はほとんど感じられない。時代の流れ、産業の移り変わりを感じずにはいられない。身近な山の歴史として、その一片でも記録しておきたいと思った。
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