湖南の名所・旧跡など - 郡青ひなたweb - Page 2
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中地(なかじ)大仏

写真ご提供:郡山市立湖南公民館

湖南町中野

 東光(とうこう)寺に安置されている、天喜(てんき)年間(1053年〜1058年)に造られたとされる大仏。
 源義家が会津に攻め入るとき、まず最初に標的としたのが湖南町。しかし湖南の勢力も強く、侵攻は決してうまくはいかなかった。そんな時、義家は諏訪神社などを祀り、戦勝祈願をしたという。その後、侵攻は成功し、そのお礼を込めて定朝(じょうちょう)作の大仏を安置した。
 また、これには前九年の役で亡くなった人達への供養の気持ちや、戦争で人心が不安定になってきたことを鑑み、信仰心を煽る目的もあったのだとされる。
 後の火事の際、首と肩と膝がばらばらになってしまったが、肩幅がやや狭くなったものの、修復はうまくいった。
 現在は県指定の重要文化財。3.31メートルの座高は東北最大。見学には事前の問い合わせが必要なので、まずは公民館へ連絡を。

郡山市立湖南公民館:TEL 024-983-2543

千手(せんじゅ)観音

写真ご提供:郡山市立湖南公民館

湖南町福良

 大同(だいどう)年間(806年〜810年)に造られたとされる観音立像。千手院(せんじゅいん)に安置されている。
 弘法大師が住民を疫病と飢餓から救うために、霊樹を削ってきて造ったと言われている。ただ、弘法大師はその時代まだ東北には来ていなかったことを示す歴史文献もあるようで、真相は定かではない。
 現在は県指定の重要文化財。通常は年に一度、祭礼の際に公開される。
 また、千手院には樹齢400年の、北と南2本のモミの木がある。通常モミの木は寿命が200年程と言われるが、ここのモミは2倍の年月を生きていることになる。

福良(ふくら)

長谷川家所蔵作品。撮影ご協力:長谷川俊則さん
福良窯の石碑

湖南町福良

 白河から会津へと向かう現在の国道294号沿いは、かつて焼き物が有名であった。長沼(現須賀川(すかがわ)市)、勢至堂(せいしどう)(同)、後藤(現天栄村)など焼き物の里が多く、福良(ふくら)焼もその一つである。
 福良町舘下に窯を構えた長谷川兵部(ひょうぶ)は、天保(てんぽう)5年(1834年)に長男・造酒(みき)(後の清伍(せいご))を会津本郷(ほんごう)(本郷焼)、佐藤伊兵衛(いへえ)に弟子入りさせる。天保10年に造酒は修行から帰り、会津藩から「福良焼」として認められ、本格的に制作を始めた。
 その後、江戸などでも高い評価を得ていき、全盛期には舘下に五登の窯が築かれた。また、瀬戸屋を始め、13軒がこれに参加した。
 しかし鉄道の開通などで値段の安い瀬戸の焼き物が流通し、その波に押されて大正5年に廃業となった。現在は残された作品の数々で往時を偲ぶのみである。
 福良焼の一番の特色は色合いだ。鮮やかな藍色は、専用の染料を取り寄せないと出せない色だという。たとえ高価になってしまっても、納得のいく色を出すために工面した。
 現在も長谷川さんのお宅には、大小様々な作品が所蔵されており、今回は特別に撮影させていただいた。
 なお、長谷川さんの家は民家であり、作品を展示しているわけではない。まずは公民館へお問い合わせの上、見られるかどうかの確認を。

郡山市立湖南公民館:TEL 024-983-2543

岩瀬郡天栄村の後藤焼についてはこちら

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