楊枝 峠を歩く
歴史の香りと自然に囲まれ、冬の山道をゆく
取材ご協力:佐藤兵一さん、郡山市立熱海公民館
取材時期:2007年12月
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国道49号が中山峠を越えるようになる以前のこと、村を切り開き開通された一本の峠道があった。楊枝峠―かつての二本松街道は、中山峠よりも幾分北に位置するこの峠を通り、会津へ向かっていた。現在は秘境度の高い山道となってしまったこの道を、往時の面影を辿りながら歩いた。
楊枝峠という名は、1597年に会津の
楊枝村は現在の国道49号
「交通のために開かれた村が交通によって消えゆくことは歴史の皮肉でしょうか」とは、楊枝村離村の碑に書かれた文面である。
現在は街道としての役割こそ果たさなくなったものの、史跡が多数残されており、随所からその歴史を感じることができる。車やバイクでの通行はできないが、歩いて越えるからこその醍醐味を味わいたい。
まずは街道を辿る意味で、
再び49号に交わると、程なくして峠への入り口だ。だが、この道は坂を上るとすぐに磐越西線の線路に遮られてしまう。ここは踏切もなく横断は不可。峠道を正確に辿るためには、一旦高速道路沿いの道を辿り、逆側から戻る形となる。(この記事最終ページの地図を参照)
迂回して線路の向かい側に出、再び散策を続けた。ここからは五百川支流(※注)の流れを横に、ぬかるむ土の道となる。馬車が通れるくらいの道幅や、所々に見られる石畳の跡が、当時の様子を想像させる。やがて馬頭観音も見えてくる。街道を思わせる面白いものとしては、休み石という自然石の存在だ。道路脇に所々ある大石を敢えて退けずに利用し、休憩や待ち合わせに使ったようだ。
※注 五百川について
編集部ではこれまで「郡青ひなたweb」、「郡青ひなた 第3号」及び本誌印刷版の当記事にて、街道沿いに流れる川を「五百川」と表記してきましたが、正しくは五百川支流であり、上写真にて左方向から本流へ流れ入る細い川が該当する川です。国道49号五百川橋付近が合流箇所となります。ご指摘いただいた読者様に感謝申し上げます。
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