磐梯町 桜めぐり
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木々に囲まれた神社仏閣は、花がよく似合う。桜の季節は殊にすばらしく、厳かな雰囲気をいっとき華やかなものに変える。
有名な寺社が多い会津地方は、4月中旬から下旬(標高により5月上旬まで)にかけ、華やかな雰囲気に包まれる。磐梯町は慧日寺跡をはじめ、磐梯神社や赤枝の八幡神社など、寺社・史跡に桜の名所が多い。春に訪れる人は、町をより魅力的に感じることだろう。
ここでは町に点在する桜の名所を、慧日寺跡を起点に東から西へ辿る。磐梯山系の山々を眼前に見ながら、華やぐ町の風景を楽しもう。
慧日寺跡
乗丹坊の木ざしザクラ
平成20年に復元された金堂(有料施設)から、奥へ進み、講堂跡や仏堂跡を見て回る。最奥に佇む桜の木が、「乗丹坊の木ざしザクラ」だ。
この桜は800年以上前に、慧日寺の宗徒(信者)頭であった乗丹坊が、桜の杖を挿し、後に木になったものと伝えられる。長い年月を経て、幹回り約5メートル、高さ約15メートルを誇る名木に育った。
かつて地元ではこの桜の花が咲くのを待ち、種籾を蒔く慣習があったそうだ。農事暦に利用されていたことから、「種蒔き桜」とも呼ばれている。
金堂や中門とともに、華やかな慧日寺の姿を偲ばせる。
慧日寺跡 薬師堂
復元金堂と木立を挟み東に位置するのが薬師堂である。ここも桜の見どころだ。
お堂は寛永3年(1626年)、火災で消失した金堂跡地に建立された。明治期の火災でお堂、御本尊ともに消失するが、地元住民の熱心な信仰により、後年再建された。
桜は仁王門と薬師堂の間に立ち、厳かな雰囲気と好対照をなす。寺院と桜のベストマッチとも言える景色が見られる。
磐梯神社
磐梯神社は慧日寺の鎮守、「磐梯明神」を起源とする。明治期の廃仏毀釈により、慧日寺が廃寺となったことで分離独立した。当時は社殿の代わりに薬師堂が使用されていたようだ。
慧日寺跡地に120年以上にわたり鎮座したものの、平成10年(1998年)に現在地に移転した。これは史跡の整備事業の影響である。
慧日寺跡からは400メートルほどで、歩いても10分程度だ。道中は桜並木に囲まれ、散策が気持ち良い。
入倉の阿弥陀寺
町を東西に結ぶ主要幹線が、県道7号猪苗代塩川線だ。
磐越自動車道の磐梯河東ICへ向かう県道64号線とわかれると、次第にゆるやかな下り坂になる。集落が点在する地域に入ったら、右手に見事な桜の木が見えてくる。
ここは入倉の阿弥陀寺という。慧日寺末寺の一つで、文禄年間(1592年〜)に僧・玄海が住んでいた場所だと言われる。
入倉という地名は、阿弥陀寺南側にあたるが、付近一帯の旧村名でもある。お寺の一角は入倉集会所としても利用されており、今でも地域の中心的存在なのだろう。
車の通りが多いものの、木々に囲まれ静かな雰囲気だ。秋にはイチョウが見事な紅葉を見せる。
手前(東側)の細道を入り、大谷川を渡り右折すると、次にご紹介する平成さくら並木路へと続く。
(参照:磐梯町歴史的風致維持向上計画 | 磐梯町)
平成さくら並木路
神社仏閣・史跡以外では唯一の紹介となる。
東側の入口は、前項・入倉の阿弥陀寺横の小道だ。西側は、県道7号上に「平成さくら並木路・アジサイロード」の看板がある。看板に従い山へ上る道に入り、集落手前を右折する。
磐梯町は山に向かい標高を上げる地形のため、南を走る県道7号からも、この並木道を目視できる。圧倒的な桜の本数に、ついつい寄り道する人も多いのではないだろうか。
とは言え、通行には注意が必要だ。全線をとおして1〜1.5車線幅の狭い山道(舗装)で、万人向けではない。桜を鑑賞するにも、駐車する場所に気を遣う。
しかし、車の不便を差し置いても一見の価値がある。
桜並木はとにかく素晴らしく、途切れることがない。まさに「花のトンネル」だ。
静かな山道は情緒深く、忘れがたい体験になるだろう。
見事な景観により、年々認知度が高まっているように感じられる。観光サイトで「下西連の桜並木」と紹介されているのは、ここのことだろう。
宝珠寺
県道7号を西へ進み、平成さくら並木路入り口を通り過ぎると、押しボタン式の信号が見えてくる。信号を右折すると、西連地区の宝珠寺だ。寄棟形式の寺院を背に、桜の木が堂々と立つ。
宝珠寺は慧日寺の末寺で、大永年間(1521年〜)に僧・聖意が住んでいた場所である。現在は真言宗のお寺として知られている。
なお、西連という地区名も、かつての村名(上西連村、下西連村)に由来している。寺院は両村における信仰の中心だったのだろう。
(参照:磐梯町歴史的風致維持向上計画 | 磐梯町)
佐瀬平八郎常雄の碑
宝珠寺を出ると、磐梯第二小学校の交差点に差し掛かる。ここを小学校とは逆方向(南)へ向かうと、田んぼばかりの風景に変わる。横道を西に入ると、すぐに木々に囲まれた一帯が見えてくる。史跡・佐瀬平八郎常雄の碑だ。
鬱蒼とした木々の中で、碑を包み込むように桜の花が咲く。
佐瀬平八郎常雄は、葦名家を支えたと言われる冨田美作の二男で、佐瀬大和守種常の養子である。
摺上原の戦いで伊達軍勢に立ち向かったものの、猪苗代氏の謀反で破れ、この辺りで戦死したと言われている。
享年わずか17歳の平八郎を供養するため、会津藩がこの場所に碑を設置し、墓守を置いた。
木々の間からは山の稜線が見える。悲話にまつわる場所だからこそ、桜も情緒深く感じられるのだろう。
大山祗神社の種まきザクラ
佐瀬平八郎常雄の碑から西へ向かうと、県道337号喜多方河東線にぶつかる。県道を挟んで西側に広がるのが、落合の集落だ。
種まきザクラは、住宅や畑の中で杉の木が密集する一角にある。この場所は「山神様」と信仰される大山祗神社で、桜も御神木である。境内入り口で美しい花を咲かせ、参拝者を迎えてくれる。
地域の人達は、桜の開花にあわせて水稲の種を蒔くのだそうだ。慧日寺の木挿しザクラと同様、農事暦に使われることから、種まきザクラと呼ばれている。
(参照:磐梯町歴史的風致維持向上計画 | 磐梯町)
慈眼 寺(落合農村公園)
大山祗神社前の道を北西へまっすぐに進む。坂を下らず、集落が軒を連ねる方向に折れると、落合公民館に突き当たる。正面の小道の先が、曹洞宗の慈眼寺だ。
桜の巨木がお堂の手前にあり、見事な花を咲かせる。桜の下には火除地蔵が並ぶ。
境内は木々に囲まれた広い土地で、落合農村公園としても整備された。滑り台とあずまやが設置され、地域の遊び場・憩いの場としての役割も果たす。
赤枝八幡神社
落合から県道337号喜多方河東線を北へ進む。県道7号を挟み、落合は南側、赤枝は北側の集落である。
県道337号はバイパスが整備され、赤枝集落の狭い道を通らず雄国沼方面へ抜けられるようになった。赤枝八幡神社に行くには、一本西側の集落内を走る道路を利用する。
赤枝八幡神社は、道路に面した一の鳥居をくぐり、畑の中をまっすぐに進む長い参道を経て、二の鳥居がある形式だ。それぞれの鳥居の近くに桜の巨木があり、春には溢れんばかりの花を咲かせる。
ダイナミックな桜の先には、落ち着いた雰囲気の神社が鎮座している。その対比が感動を生む。
写真映えするため、若い訪問者も多い。
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