古くから続く仏教文化に触れる 慧日寺跡 - 郡青ひなたweb - Page 3
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薬師堂の道路を挟んだ東側にある

不動院龍宝寺不動堂

薬師堂の東にあり、磐梯山修験の祈願所と言われる場所である。

会津地方の修験道は大伴家が主導し、長い歴史を持つ。この場所は磐梯山、厩嶽山、吾妻山修験を掛け持っていた。

永正18年(1521年)に九州・彦山ひこさん(英彦山)から彦山流の教えを受け、「磐梯山不動院龍宝寺」と名乗る。その後彦山流から京都聖護院に移ったことで、「磐梯山龍宝院」と改称された。

深山幽谷を有する当地が、古くから修験道にも関わってきた歴史を知らせる、貴重な場所である。

慧日寺資料館の施設内にある厩嶽山馬頭観音覆堂。12月〜3月は資料館も冬季閉館となる
厩嶽山から遷されてきた厨子

厩嶽山うまやさん馬頭観音覆堂

磐梯山、厩嶽山など名峰の麓に位置する当地には、古くから山岳信仰が根付いてきた。
700年代に行基によって開かれたとされる厩嶽山は、会津地方の馬頭観音信仰の中心的な存在であった。

厩嶽山の馬頭観世音菩薩坐像は、観音堂の荒廃にともない、恵日寺本堂に遷された。慧日寺資料館には厨子が保存されており、屋外の展示施設(馬頭観音覆堂)で公開されている。
向かって右側に白馬、左に黒馬が祀られ、中心が厨子だ。

かつては参拝者で賑わった厩嶽山は、標高1261mと、誰もが気軽に登れる山ではない。往復には体力を要する。こうして麓に遷すことで、歴史と信仰を身近に感じられるようになるだろう。

なお、資料館は12月〜3月の間冬季閉館となる。(金堂・中門と同様)

※以下の記事で、厩嶽山を特集しています。あわせてご覧ください。

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