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会津三十三観音 札所10番~20番 湯川村~会津若松市

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本稿の歴史的記述について
本稿の記述は、現地案内看板の内容を最優先とし、参考文献として歴史春秋社が発行する以下の書籍を参照しています。

<参考文献>
歴史春秋社編(2018).『会津三十三観音巡り』.歴史春秋社
藤田定興(2011).『神と仏の信仰』.歴史春秋社,【歴春ふくしま文庫41】

地元郷土史家の方、史談会の方で、お気づきの点がありましたら、下部コメントフォームよりご教示いただけると助かります。

なお、本稿では御詠歌に解釈を加えていますが、私は学者ではありません。訪れる一人一人が、自分なりの解釈で楽しむのが良いだろうと思います。あくまでも私の主観であることをお断りしておきます。また、御詠歌はなるべく歌額記載のまま記述するよう心がけています(分かりづらい部分は漢字にしています)。ガイドブックや書籍と異なる部分もありますが、ご了承ください。

10.勝常しょうじょう観音

白い壁の観音堂兼霊宝殿
歴史ある薬師堂
御詠歌

湯川ゆがわ村は会津若松と喜多方の中間に位置する、人口3,000人ほどの村だ。役場から西へ向かうと、真言宗の勝常寺がある。

ここは大同2年(807年)に徳一大師によって建立された歴史ある寺院で、会津における仏教布教拠点の一つだ。創立当時は七堂伽藍が備わり、最盛期には12の坊舎と100を超える子院を有する一大寺院であった。

現在最も古くから残るのが、応永5年(1398年)に再建された会津中央薬師堂(元講堂)だ。中には国宝の薬師如来坐像が安置されている。

観音堂は向かって右側の白い建物だ。他の観音堂と見た目が大きく異なり、驚く人もいるだろう。観音堂のほかに霊宝殿(収蔵庫)も併設されるため、このような造りをしているのだ。
ご本尊の十一面観世音菩薩(国指定重要文化財)や、日光菩薩立像(国宝)、月光菩薩立像(国宝)など、創建当時の仏像12躯を含む、30を超える貴重な仏像が安置されている。

御詠歌

いくたびも歩みをはこぶ常勝寺 生れ会津の中の御佛みほとけ

仏教信仰の中心地として、古くからお寺が存在したことが窺える。

河沼郡湯川村大字勝常字代舞1764

11.束原つかはら観音

巡礼時は工事中だった
御詠歌

会津33観音の巡礼経路は、湯川村から阿賀川を渡り、会津坂下ばんげ町に入る。阿賀川西部を南下し、会津若松市内に至る流れだ。

束原集落は、阿賀川支流の宮川が合流する地点に近い。一面の田んぼが広がる雄大な景色の中に、肩を寄せ合うように家々が並ぶ。集落内の細道を進むと、屯所の前に観音堂(満蔵寺)がある。

歴史春秋社の『会津三十三観音巡り』によれば、相模国から来た領主・佐原十郎義連が開祖であるとのこと。
元は集落の南にあったが、元禄15年(1702年)に西部の万蔵寺と共に現在地に移転された。

祀られているのは、会津三十三観音で唯一の馬頭観世音菩薩だ。三面八臂の一木造で、地元では行基の作と言われている。

御詠歌

昔より誰がたてそめしふるしきの 久しかるべき束の原かな

「ふるしき」は風呂敷だろうか。絶えることなき巡礼の様子を想像する。

河沼郡会津坂下町束原字東1516

12.田村山観音

観音堂
御詠歌
景勝清水

束原観音堂から南下し、会津若松市内に入る。
パンフレットやガイドブックに書かれている住所は「北会津町和合堂の下」だが、どうにも見つけられない。実際に訪れるべきは「北会津町田村山堂ノ下」だ。

この観音堂は集落から外れた場所にある。木々に囲まれた杜の中に、住吉神社と田村山観音堂がひっそりと佇む。
鳥居をくぐって正面が住吉神社、右側が観音堂だ。ここまでの巡礼で、神社にお堂が祀られているのは初めて。

歴史を辿ると、もとは下荒井地区にある蓮華寺の六坊の一つであった。伊達軍の侵攻による消失を恐れた僧・宥覚が、天正17年(1589年)に現在地に移したと言われている。
明治36年(1903年)に現在の姿に再建されている。
ご本尊は聖観世音菩薩。

裏手に回ると、上杉景勝が慶長4年(1599年)に当地で鷹狩をしたさい、絶賛したという「景勝清水」がある。現在も水が湧き続けている。

御詠歌

千早ちはや振る神ぞまことの住吉の 重ねがさねのもりのしめ縄

御詠歌からも、当地が神域であることを実感させられる。

会津若松市北会津町田村山堂ノ下146(実際の住所を記しています)

13.舘観音

御詠歌

田村山観音と県道72号会津坂下本郷線を挟んだ位置にあり、歩ける程度の距離だ。舘集落の北端で、県道からもお堂を確認できる。隣りに立つのは不動堂だ。

開基は不詳。天正3年(1575年)に僧・円智が観音堂を修復したと言われている。

ご本尊は聖観世音菩薩。下腹が張った姿のため、妊産婦からの信仰が篤い。

御詠歌

はるばると参りて拝むよしみ寺 佛のちかひあらたなるらん

遠くからでも、何度もお参りしたくなる場所なのだろう。

会津若松市北会津町舘17

14.下荒井観音

御詠歌

舘観音堂から3キロほど南にある。
県道72号会津坂下本郷線を辿り、下荒井の集落へ。下荒井公会堂を目印にすると良い。

もとは村北部に存在した妙法寺の観音堂であった。同寺が廃寺となったことで、寛永年間(1624年~)に当地(蓮華寺)に移転した。

江戸時代後期の建築でありながらも、安土桃山時代の様式を取り入れた貴重なお堂である。正面の梁に彫られた龍が見事だ。

ご本尊は聖観世音菩薩。隣に立つのは虚空蔵堂だ。

御詠歌

たかのやまよそにあらじの下荒井 さんこの松ののりの朝風

蓮華寺の伝承にもとづく句のようだ。高野山を目指した僧がこの地で観世音の化身に呼び止められ、留まったのだという。境内の三鈷さんこの松には案内板が立つ。

会津若松市北会津町下荒井60

15.高瀬観音

御詠歌

阿賀川を渡り、神指こうざし町に入る。車の通行量が増え、会津若松の市街地に入ったことを実感する。

周辺は上杉景勝が神指城を築こうとした場所(完成には至らなかった)で、現在は史跡として整備されている。
東側には国指定文化財の「高瀬の大木(ケヤキ)」がある。
観音堂は、大木の北側に位置する。狭い生活道路に面し、車を停めておく場所に難儀した。

創建は承安2年(1172年)。京と奥州を行き来していた金売りの吉次が建立したと言われる。
吉次一行は村の東部にある応湖川を船で渡ろうとしたが、増水で転覆。弟の吉六が亡くなってしまう。
弟の冥福を祈り、吉次らはこの場所に観音堂を建立した。石塔は吉六の墓だと言われている。

ご本尊は十一面観世音菩薩。像の中には黄金が納められている。

御詠歌

のり得ても心ゆるすな天小舟あまおぶね 高瀬の波は時をきらはず

観音堂に込められた悲しい伝承を伝える。現地案内板にあわせ、「乗り」は「法」と記述した。

会津若松市神指町高瀬81

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