会津三十三観音 - 郡青ひなたweb
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会津三十三観音

各地に伝わる三十三観音の巡礼だが、会津では主に農村部の女性が御詠歌を唱えながら回ったという。
現代に伝わる信仰を辿り、その独特の情緒に包まれていく。

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三十三観音めぐりは、広域に開設された33の札所を回り祈願する巡礼である。観世音菩薩は33の姿に身を変え、人々を救うと言われている。巡礼しながら、人々は現世と来世の安穏を祈願する。

巡礼の慣習は、平安末期までに畿内地域で始まったと言われている。福島県内では15世紀末から16世紀中頃にかけてと、17世紀中頃以降に札所が開設された。
会津の三十三観音は江戸時代の寛永20年(1643年)、保科正之が領地に入って以降に成立したと言われる。(※札所は江戸時代以前に開設されていたという学説もある)以降地元の人々の信仰を集め、2016年には日本遺産に認定された。

現在の会津三十三観音は、喜多方市の大木観音堂から始まり、9番札所まで同市内、以降、湯川村、会津坂下町、会津若松市、会津美里町、そして再び会津坂下町に入り、33番の御池観音堂(同町)で締めくくられる。
巡礼コースの選定や開設に関わった人物は、はっきりしていない。保科正之が関わったとする説や、冨岡観音堂(会津美里町)に関係した人物の発願・開設だという説もある。

かつては主に農村部に住む女性が、畑仕事が一段落した7月頃、白装束に笠をかぶった姿で巡礼したと言われる。
現在は、車の利用が現実的だろう。車が利用できない場合は、地元のタクシー会社に予約を入れれば、順に案内してもらえる。(観光プランがあるかは要確認)
巡礼の形式は変わっても、古くから続く信仰心に想いを馳せ、ゆったりとした心で周りたい。

私は、2018年の5月頃から巡礼を始め、休日を利用しおよそ半年で33か所を周った。生活を考えると、途切れ途切れの巡礼になるのは仕方がない。しかし断続的だからこそ、季節の移ろいを感じながらのお参りができた。

集落の中にひっそり佇むお堂もあれば、山に深く分け入るところもある。お堂周辺の雰囲気も楽しみながら、自分なりのペースで参拝しよう。

なお、駐車場が整備されているお堂は多くない。駐車の際は近隣に迷惑がかからないよう注意したい。

参考文献:藤田定興(2011).『神と仏の信仰』.歴史春秋社,【歴春ふくしま文庫41】
歴史春秋社編(2018).『会津三十三観音巡り』.歴史春秋社

御詠歌について

会津三十三観音では、すべての観音堂に独自の御詠歌が掲げられている。
御詠歌とは仏の教えや周囲の景観、亡くなった人への想いなどを短歌形式で表現した仏教歌謡だ。会津の御詠歌は、村の名前やゆかりのある地名が盛り込まれていることも多い。いつどのように誕生したのかは、明らかでないものの、巡礼者には古くから親しまれてきた。

昔の巡礼者は、御詠歌を歌いながら観音堂を周ったそうだ。今回の巡礼では、私も一つひとつの御詠歌を確認して回った。自分なりに意味を解釈することで、古くから続く信仰心に触れられた気がする。

CONTENTS

札所1番~9番 喜多方市

会津三十三観音は、喜多方市塩川町から始まる。札所の番号どおりに辿ると、市内を大きく時計回りに回る形となる。集落内に位置する札所が多く、古くから地元の人々の信仰を集めていたことがわかる。

札所10番~20番 湯川村~会津若松市

湯川村から会津坂下町に入り、会津若松に至る。会津における仏教拠点の一つであった勝常寺(湯川村)や、会津若松の深い山中に位置する滝沢観音など、見どころが多い。巡礼も折り返しとなり、訪れる人も達成感と充実感を感じ始める頃だろう。

札所21番~30番 会津美里町

観音巡りも中盤を過ぎた。21番からは会津美里町を巡る。岩の斜面に寄りかかる「懸造」が強いインパクトを与える左下り観音や、長い階段が特徴の高倉観音、深い山中に分け入る大岩観音など見どころが多い。会津の魅力を心行くまで楽しめ、三十三観音巡にどっぷりとはまり込むに違いない。

札所31番~33番 会津坂下町/番外1番~3番

長かった三十三観音巡りも、会津坂下町の3ヶ所で打ち止めとなる。ころり三観音にも選ばれている立木観音、古墳に立地する青津観音、集落を静かに見守る御池観音と、各所見どころが多い。
会津の三十三観音巡りには、番外札所も用意されている。有名どころが多く、会津に行くなら是非訪れておきたい場所ばかりだ。巡礼の締めくくりとして、会津が誇る名刹を楽しみたい。