【須賀川市】桜の名所・長沼で「さくら紀行スタンプラリー」を体験!

須賀川市の旧・長沼町域は知る人ぞ知る桜の名所です。長沼観光物産振興協会では街の魅力を広く訴求するため、毎年4月上旬〜下旬にかけて「さくら紀行スタンプラリー」を開催しています。旧町内にある全9箇所のスポット(スタンプ設置場所)は、寺院や公園、農村地帯など幅広いロケーションで、さまざまな風景を楽しめるのが特徴です。長沼城址がある町中心部から東へスポットが点在しているものの、近接する場所も多く、車なら半日もあれば楽しみながら回れるでしょう。
私は2019年の4月15日、車でスタンプラリーに挑戦しました。市街地の開花状況から最適な時期を見計らっていましたが、運良く最も綺麗な時期に来られたようです。東から西へ、スタンプラリーの指定順に撮影しています。のんびりした農村風景に鮮やかな色を添える、名木の数々をお楽しみください。
※執筆にあたり「藤沼湖」の写真を紛失していることに気づきました。全8箇所での記事公開となりますことをご了承ください。
■本稿の参考文献
歴史的記述は以下の書籍を参照しています。
・藤崎定久(1977).『日本の古城4 補遺<東日本編>』.新人物往来社.
・人文社観光と旅編集部 編(1979).『郷土資料辞典福島県・観光と旅 改訂新版(県別シリーズ;7).』人文社.
・須賀川市教育委員会(1973).『須賀川市史 第2巻(中世 2 二階堂領時代)本編』.須賀川市教育委員会.
・橋本隅川(大正10).『岩瀬案内』.橋本新聞店.
・平井聖[ほか]編修(1981).『日本城郭大系 第3巻』.新人物往来社.
・福島県史学会(1967).『福島史学研究(4)(10)』.福島県史学会.
・須賀川市教育委員会(1974).『須賀川市史 第1巻』.須賀川市教育委員会.
・郷土出版社(1996).『目で見る須賀川・石川・岩瀬の100年』.郷土出版社.
名所についての解説は、現地案内板や以下のサイトを参照しています。
・第3章 歴史・文化資源の総合的把握 | 須賀川市
・市指定文化財等 | 須賀川市
※注:本記事の歴史紹介は、参考文献の記述を優先するものとし、史実に関する論争は望みません。地元郷土史家の方で明らかな間違いを発見した方は、お手数ですが末尾のコメント等でご指摘ください。
Contents
隠れた桜の名所・須賀川市の長沼とは
須賀川市西部の長沼地区は、奥羽山脈の麓に位置する農業と工業の町です。2005年に岩瀬村と共に須賀川市に合併するまでは、岩瀬郡長沼町として一つの自治体を形成していました。
町域は東西に広く、1,000m級の山々が連なる北西部の山岳地帯から、江花川や簀ノ子川に沿って緩やかに傾斜し、東に向かうほどなだらかな平地が広がっています。東西には国道118号が、南北には岩瀬グリーンロード(広域農道)や県道55号郡山矢吹線が通り抜け、須賀川や郡山市街地からのアクセスも良好です。工場が多く進出したのも、交通インフラに恵まれた地域だからでしょう。
この地域には南古館、北古館、長沼城の3つの城が約600mごとに並び、南古館には石背国造の子孫(異説あり)が、北古館と長沼城には長沼氏が住んだと言われています。北古館が築かれたのは長暦元年(1037年)で、長沼氏は8代にわたりここに本拠を構え岩瀬郡西部を支配していましたが、その後長沼城に移り、応永7年(1400年)に稲村公方の足利満貞に滅ぼされるまで長沼城を治めています。その後天文10年(1541年)に会津の蘆名盛舜によって城は修築され、会津黒川城(鶴ヶ城)の支城となり、蒲生郷貞、島津忠直、松平頼隆等が城を治めました。明治維新まで城は守られ、加藤嘉明が会津領主になった頃に廃城になったと言われています。
町の中心部は現在も城下町としての雰囲気を残し、狭い通りに住宅や商店がひしめき合う独特の風情があります。長沼城は史跡として整備され、春には美しい桜を楽しめるようになりました。観光地として名高い地域ではないものの、穏やかな風景の中に、ところどころ歴史の匂いが感じられます。時間を取り、ゆっくりと散策したくなる町です。
(参考文献:
・藤崎定久(1977).『日本の古城 補遺<東日本編>』.新人物往来社.
・人文社観光と旅編集部 編(1979).『郷土資料辞典福島県・観光と旅 改訂新版(県別シリーズ;7).』人文社.)
古舘の桜


古館の桜は、江花川の南の張り出した台地の上に位置します。根回りは6.3m、途中で二又に分かれる樹形の巨木です。
この場所には、南北朝時代に二階堂時藤が建てた屋敷がありました。当時、時藤は岩瀬郡の西方21郷を領有していましたが、東側にも領地を拡張しています。当地もその中で整備されたのでしょう。
堂々たる桜は地域のシンボルであると同時に、生活にも利用されてきました。付近の農家では、この桜の開花に合わせ苗代の準備をする習慣があったようです。地域の人達からは「種蒔桜」とも呼ばれ、古くから生活に根ざした存在として親しまれています。
(参考文献:藤崎定久(1977).『日本の古城4 補遺<東日本編>』.新人物往来社.)
長楽寺


古館の桜から西へ750メートルほど、亀居山の麓に位置するのが長楽寺です。
長楽寺は真言宗京都智積院の末寺で、弘仁12年(821年)創建と言われています。かつては郡内に35の末寺を有しており、亀居山に鎮座する桙衝神社の別当寺(神社を管理する寺)も兼ねていました。厚い瓦が特徴的な山門をくぐると長い参道があり、山門近くとお堂正面に桜の古木が立っています。
(参考文献
・須賀川市教育委員会(1973).『須賀川市史 第2巻(中世 2 二階堂領時代)本編』.須賀川市教育委員会.
・橋本隅川(大正10).『岩瀬案内』.橋本新聞店.)
岩崎山史跡公園


県道55号郡山矢吹線で国道118号を北に越えると、木之崎の長沼第3工業団地があります。工業団地の西側にある小高い丘陵地帯が、岩崎山です。岩崎山一帯は古くから霊場として地域の人々に大切にされてきました。多数の供養塔が現存し、年代も鎌倉時代末期から江戸時代末期までさまざまです。現在は市の指定文化財に数えられ、史跡公園として整備されています。
美しい桜が見られるのは主に山の入口です。散策路に誘い込むように、何本もの木々が植えられています。体力があれば山を登ってみるのも良いかもしれません。緑の小径から見上げる桜も、眼下に見下ろす桜も綺麗です。
頂上は「松山城跡」と案内があります。詳細は不明点が多いものの、戦国時代に「横田松山城(南横田松山城)」と呼ばれていた場所のようです。二階堂氏の所領で、蘆名盛氏との攻防の舞台になりました。
(参照:市指定文化財等 | 須賀川市)
(参考文献:平井聖[ほか]編修(1981).『日本城郭大系 第3巻』.新人物往来社.)
護真寺


岩崎山史跡公園の西側、道路を挟んだ山域にあるのが護真寺です。観応2年(1351年)に本禅等擇和尚によって開山された臨済宗円覚寺派の寺院で、須賀川にある普応寺の末寺にあたります。
今回の散策で最も綺麗な写真を撮れたのが、この護真寺です。山門から伸びる長い参道の両脇にたくさんの桜が植えられ、見事な桜のトンネルがつくり出されます。本堂脇の枝垂桜は県指定天然記念物に選ばれており、根回り6.3m、樹高12mの巨木です。和尚が開山の頃に手植えしたもので、数ある桜の中でも一際の美しさを誇ります。
本堂と同じ高さに駐車場が設けられていますが、是非山門から歩いてみてください。桜の木々に囲まれお参りする、神聖な体験ができます。
横田陣屋御殿桜

護真寺山門から西にすぐの場所には、横田陣屋御殿桜があります。元禄11年(1698年)に越後・新発田の溝口宣就が移封し、陣屋を構えた場所です。一般的な陣屋のイメージとは異なり、溝口氏の居館としての役割が大きい場所でした。後の宝暦2年(1752年)に溝口直寛が陣屋を拡張し、その際に桜の植栽も行われたようです。地域では「御殿桜」と呼ばれ、人々に長く親しまれています。
桜のある場所は民家の敷地になっているものの、駐車場や案内板が整備され、一般に広く解放されています。穏やかな農村風景の中で咲く枝垂桜は見事で、「福島の春」を代表する牧歌的な風景が楽しめます。
(参考文献:福島県史学会(1967).『福島史学研究(4)(10)』.福島県史学会.)
兎内の桜

長沼の中心部に向かい西へ進むと、兎内という地域があります。ここには小さな池があり、池の周りを一周するように桜の木々が植えられています。道が狭いため、桜を楽しむには歩いて周ると良いでしょう。写真を撮るには、民家が写らない北側からのアングルをおすすめします。
市史によると、付近には「源義家が当地を通過した際、兎が冷泉に入り傷を直したのを見て開湯した」という伝承が残る鉱泉が存在していました。現在は数件の民家が残るのみで詳細は不明です。
(参考文献:須賀川市教育委員会(1974).『須賀川市史 第1巻』.須賀川市教育委員会.)
長沼城址

細い道路に商店や人家が密集する長沼市街地の北端に、こんもりとした日高見山があります。この山の東側を利用した山城が、かつて長沼氏が築城した長沼城です。頂上に本丸、西北に二之丸がある構造で、石垣や土塁などの僅かな遺構から、当時を偲ぶことができます。
日高見山には300本ほどの桜が植えられており、春になると遠くからでも美しさが際立ちます。山一帯に咲く桜の美しさを味わうには、山から少し離れた場所から見るのがおすすめです。近くから鑑賞する場合は、長沼小学校の奥に駐車場があります。咲き誇る桜を眺めつつ、史跡を見て回るのも良いでしょう。
(参考文献:藤崎定久(1977).『日本の古城4 補遺<東日本編>』.新人物往来社.)
永泉寺

長沼小学校前の道路を北へ進み、枝分かれする道を右に入っていくと、突き当たりに永泉寺があります。寛正元年(1460年)に江花(長沼西部)の真言宗定満寺が当地に移され、曹洞宗永興寺としたのが始まりだと言われています。後の応仁2年(1468年)に馨麟和尚を開祖とし、現在の寺名に改められました。
永泉寺の桜は樹高17m、推定樹齢300年と言われる枝垂桜で、周辺では比較的早く花をつけることで知られています。満開時には地面につくほどに枝が下がり、大樹の風格が感じられます。
階段を挟んだ向かいには、県指定天然記念物のコウヨウザンがあり、こちらも見応えがあります。関東より北部にコウヨウザンがあるのは当地だけなのだそうです。
(参考文献:郷土出版社(1996).『目で見る須賀川・石川・岩瀬の100年』.郷土出版社.)
本来、この後に「藤沼湖の桜」をご紹介するはずだったのですが、写真を紛失してしまいました。来年以降の春に追記できればと思います。
人混みを避け落ち着いて鑑賞したい人におすすめ
今回はスタンプラリーに参加したこともあり、長沼町内の桜の名所を中心としたご紹介となりました。名所に据えられるだけのことはあり、どこも見事な巨木を楽しめました。もちろん「その辺の何気ない風景が美しい」福島県なので、ドライブしているだけで美しい桜に出会える機会も多々ありました。急がずにゆっくりと回れば、知られざる名木もご紹介できたのかもしれません。
オーバーツーリズムが問題に挙がる昨今、これだけの桜を落ち着いて見られる場所は貴重です。歴史がある町独特の雰囲気を味わい、景色に心を開きながら、ゆっくりと散策を楽しみましょう。
なおスタンプラリーの結果、抽選で藤沼温泉やまゆり荘の入浴券に当選しました。東日本大震災で大きな被害を受けてから、2015年に復旧した施設で、新しく綺麗な温泉地でした。桜の季節にまたゆっくり訪れたいと思います。(そのときに藤沼湖の写真もアップします)
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