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● 取材:2010年5月~6月
● 取材ご協力:三春町歴史民俗資料館 平田禎文さん
● 散歩、文 、写真:木村裕輔
(掲載の情報は取材時のものです。情報が古い場合や、お気づきの点がございましたらご連絡ください。メールはこちら)
上写真:龍穏院愛宕散策路
歴史的記述についての考え方はこちら
三春は山間の谷間に発達した町だ。1504年に田村義顕(よしあき)が居城を大志多(おおしだ)山に構えて以降、城下町として栄えた。江戸時代には旧田村郡の大半を領した三春藩の政治・経済・交通の中心地となり、商業や経済活動の近代化にも貢献した。
町を歩けば、歴史や文化がある町だけが持つ、独特の風情が感じられる。町役場隣の駐車場に車を止め、町内を散策してみよう。
今回の経路、地図はこちら。
駐車場周辺・大町
歩き出す前に、まずは役場隣の駐車場自体に注目したい。
ここは江戸時代には藩の学校である講所(こうしょ)が、明治時代には福島県内唯一の政治教育の学塾である三春正道館(せいどうかん)があった場所だ。
現在歩道側に石碑が建てられている。(左写真1)
また、南方の歴史民俗資料館へ上がる坂の下には、自由民権ひろばがある。(右写真2)
三春は明治期に福島自由民権運動の拠点となった場所。指導者の河野廣中(こうのひろなか)の銅像と共に石碑が建てられ、広場として整備されている。
急な坂を上り切ると、三春町歴史民俗資料館だ。(左写真3)
三春の文化や歴史を紐解くには、欠かせない場所。春は入口の枝垂れ桜が美しい。また、坂の途中からは、桜谷散策路が分岐しており、散歩に最適だ。
町内には山を散策できる小さな小径が多く整備され、どこも竹が青々と美しい。歴史と共に自然も体感してみたい。
道路を挟んで役場の向かいにも目を向けて見よう。何やら立派な門が見える。三春小学校の正門だ。
ここは江戸時代前期に藩主の御殿が設けられた場所で、明徳門と呼ばれている。(右写真4)
さて、役場前の県道を東へ進んでいくことにしよう。すぐに三春城へと続く急坂に辿り着く。お城坂と呼ばれ、車でも上がっていけるが、かなり急なので十分注意されたい。麓から三春城まではおよそ100メートルほどの高低差だ。
ここは戦国大名であった田村義顕が築城、明治維新の施策によって解体されるまで存続した。(左写真5 補足:奥跡)
江戸時代の秋田氏の頃からは、現在の三春小学校の場所に御殿が建てられたため、藩主の住居としては使われてこなかったが、儀式の時などには使用されたようである。江戸時代後期からは「舞鶴城」とも呼ばれ、人々に親しまれてきた。
現在は城山公園として整備され、わずかに残された石垣などが往時を偲ばせる。(右写真6)
新町・清水方面
お城坂を下って県道まで戻り、東へ進んでいく。すぐに辿り着くのが田村大元(たいげん)神社だ。取材時、拝殿等の屋根修復工事中で、残念ながら参拝ができなかった。本来ならばここから散策路を通り、三春城方面へ上がっていける。
追記:2012年現在、工事は終了しており、参拝可能です。また、散策路を歩いて三春城方面へ上ることもできます。
そのまま東進すると新町の信号だ。
南に坂を上がっていく道は、現在の県道40号飯野三春石川線だが、古くは磐城街道のルートであった。
長い坂が続き、やがて国道288号バイパスと交わる。(左写真7 補足:磐城街道との分岐点、化粧(けわい)清水。奥には六地蔵のうちの一体がある)
この辺りは家々に趣が感じられる一角で、坂の途中には馬のせり場があった。かつてここで三春名産の馬の市が開かれていた。
現在は三春昭進堂という和菓子屋さんの横に、小さな石碑が建てられている。(右写真8)
また、ここの横道を入っていくと、真言宗の寺院で、秋田氏歴代の祈願所であった真照(しんしょう)寺に着く。(左写真9)
元は青森県にあった寺院だが、秋田氏と共に動き、1649年に三春に移された。本堂裏の池は、春先の水芭蕉が綺麗だ。
また、真照寺の北方へ少々坂を下ったところには、曹洞宗の寺院、州伝(しゅうでん)寺がある。(右写真10)
ここは秋田氏以前に三春藩主を務めた、松下氏の菩提寺である。
坂を下り、新町を後にする。
今度は信号から東へ進んでみよう。こちらは清水という地域で、桜川の流れと並行しながら進んでいく。
しばらく行くと南方に分岐する道があり、寺院の立派な門が見えてくる。曹洞宗の天沢(てんたく)寺だ。
身代地蔵堂や三十三観音石像があり、重厚な屋根の建築など見所が多い。(上写真、右写真11)
磐州通り、荒町方面
今度は駐車場から西側、三春駅方向へ向かっていこう。
三春交流館「まほら」の前を通り、信号を国道288号線沿いに右へ曲がると、間もなく北野神社だ。(左写真12)
ここは菅原道真公を祭神とする神社で、境内にある「なで牛」が訪れる者を楽しませてくれる。
この先国道を北へ進んでいくと、浄土宗の光岩(こうがん)寺などあるが、今回は西へ向かうことにする。
大通りを行くのもいいが、ここは一本北側に位置する路地、磐州通り(右写真13)を歩きたい。石畳の風情のある道で、途中に浄土宗の紫雲(しうん)寺、王子神社がある。
紫雲寺には先述の河野廣中の遺髪が埋められている(左写真14 補足:紫雲寺内、河野廣中遺髪塚)他、「腹切り梅」伝説が残る梅の木などがある。
やがて通りは再び県道とぶつかる。この付近が荒町(あらまち)だ。
まずは県道が直角に曲がる箇所、職人横丁から見ていきたい。南へ進む細い一方通行の路地があるが、この一帯がかつて様々な職人達が店を構えていた場所だ。
三春は商都として栄え、江戸時代には諸々の職種が三十余りあったと言われている。現在、その名残は大分薄れてしまい、町の雰囲気から往時を偲ぶばかりである。(右写真15)
※追記:東日本大震災の影響により、職人横丁の様子も大分変わってしまい、現在は写真のような風景を見ることはできなくなってしまいました。
ここから県道を北へ向かうと、寺社が非常に多いエリアに差し掛かる。その最も手前(南側)に位置するのが法蔵(ほうぞう)寺だ。(左写真16)
ここは時宗の寺院で、三春では一番の古刹である。
その北側、県道を西へ入ると臨済宗の高乾(こうけん)院がある。(右写真17)
秋田氏の菩提寺として共に動き、三春へ移ってきた寺院だ。
さらに北の路地には、城下で唯一の真宗道場である、光善(こうぜん)寺(上写真左18)、そのすぐ北側には龍穏(りゅうおん)院(上写真中19)、馬頭観音堂(上写真右20)と続く。
龍穏院は曹洞宗の寺院で、ここも秋田氏と共に三春の地に移ってきた寺院。菩提寺の一つである。
県道の東側にも目を向けて見よう。
こちらには県道と並行する形で愛姫(めごひめ)小路(こうじ)と呼ばれる裏通りがある。その最北部にあるのが八雲(やぐも)神社だ。(左写真21)
長い石段を上ると、深呼吸したくなるような緑の木々が広がる。ケヤキの大木も美しい神社だ。
中町・八幡町方面
役場裏手の道は、桜川沿いの小径となっているが、この道を西へ歩いていくと何とも趣のある町並みが広がっている。この辺りは「裏道」と呼ばれ、随所に蔵のある家が残されている。
まずは三春郷土人形館(右写真22)に立ち寄ってみよう。
こちらで特集した三春人形の歴史や、貴重な展示品の数々を見ることができる。
白い蔵の外観が何とも美しい。
裏道へ戻り、川のせせらぎを聞きながら西へ進んでいく。
最初の橋を渡ると見えるのが、五千石(ごせんごく)代官屋敷跡だ。ここには秋田盛季(もりすえ)が家督相続時に分家した、旗本秋田家の代官屋敷があった。
裏の不動山へ散策路(左写真23)も伸びているので、こちらを歩いてみるのもいいだろう。
橋へと戻り、西へ向かう。しばらく歩いていくと大神宮橋だ。ここは三春大神宮の入り口。長い参道の先には、大きな拝殿、本殿がある。(上写真左24)
ここには太陽神と農耕神が祀られており、広い敷地内は自然でいっぱいだ。毎年十月の体育の日前の土日には、秋季例大祭が行われ、大変な盛り上がりを見せる。(上写真右25)
さらに西へ進めば日蓮正宗の法華寺(ほっけじ)がある。三春で唯一の日蓮正宗の寺である。
ここから道を北へ折れ、国道288号線に合流しよう。国道沿いは多くの商店が立ち並ぶ一角で、城下町三春の中心地らしい風格が感じられる。
最後に、国道を挟み北側にある愛宕(あたご)神社(右写真26)にお参りしたい。
ここは中町の鎮守で、背後が森の散策路になっている。龍穏院まで歩いて抜けられ、竹林が見事だ。
拝殿に向かって右側にあるケヤキの大木も迫力があり、町の天然記念物になっている。
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