特集湖南町

猪苗代湖の魅力を体感するのに、湖南町ほど適した場所はない。
様々な観光地を擁する湖北に比べ、地味なイメージはあるかもしれないが、その分落ち着いた雰囲気の町並みが残り、名所や旧跡にも恵まれている。
私が取材した初秋は、湖水浴で賑わう夏を終え、町全体がどこか切ない美しさに包まれていた。
この一帯では、秋は農作物の恵みを授かる季節である。
町を歩けば、稲穂の黄金色や、真っ白な蕎麦の花が景色に華やかな彩りを添えている。
それはまるで、農家の人達の一年の苦労を労っているかのようにも思えた。

ここでは何気ない町の風景が心に触れる。それだけ町の自然と人々の日々の暮らしとが、密接に結びついているということだろう。
古くは二本松藩と会津藩との狭間にあり、その歴史が独特の民俗や文化を残してきた。豊かな自然も、何気ない町角の風景も、まるで映画の一シーンのように息づいているように思えた。
布引高原の風力発電群も完成し、郡山市の観光地として脚光を浴びる湖南町。観光名所以外にも、きっとお気に入りの場所が見つかるはず。
湖からの風を感じながら、たまにはゆっくり歩いてみるのもいいだろう。

<概要>

湖南町は郡山市の最西端に位置し、北は猪苗代湖、東西南は山に囲まれた山間の高冷地。夏は涼しく、冬は磐梯山からの風の影響で寒さが厳しい。また、積雪も多い。
七つの峠によって中通りと、安藤・黒森峠によって会津と結ばれている。三森トンネル、黒森トンネルの完成後は郡山からも会津若松からもぐっとアクセスがよくなった。
総面積は約142kmと、郡山市全域のおよそ20%をもしめており、その多くが豊かな自然。景勝地や史跡にも恵まれている。
人口は4000人強の過疎の町だが、しっかりとした文化や歴史の上に町が成り立っている。

歴史経過:
昭和30年3月に、赤津、福良、三代、中野、月形の5つの村が合併し、安積郡湖南村に。その後、昭和40年5月に郡山市に合併された。

●取材:2007年9月~10月 「郡青ひなた」第2号(2007年10月25日発行)
●写真、動画:2007年9月~2011年
●文、写真、動画:木村裕輔
●挿絵:秋濱あいり 
●取材、校正ご協力:郡山市立湖南公民館(TEL 024-983-2543)、橋本勝雄さん(郷土史家)、増子功さん(会津万歳安佐野保存会)、岡田峰幸さん(歴史小説家)
●一部写真ご提供:湖南町商工会、郡山市立湖南公民館

歴史的記述についての考え方はこちら

 

名所ご紹介 史跡

お札神社お札神社

湖南町舘

祭神がなくお札だけを奉っているという、一風変わった神社。湖南は冷害がひどく、その対策として、風の神を奉っている全国の神社からお札を貰い受けてきた。
古くは弘法大師が磐梯山の頂上から湖南を見下ろしたとき、妖霧のせいでこの町が冷害に遭いやすいのではないかと、四枚のお札で霧を封じようとしたことが始まりだとか。
毎年4月1日の祭礼では、「今年も豊作になりますように」との願いを込め、郷土芸能の「舘の早乙女踊り」が奉納される。

 

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乳地蔵乳地蔵

湖南町舘

お札神社の脇にある、二体の地蔵と湧水。
その昔、舘村で赤ん坊が生まれたが、母の乳が出ず、赤ん坊がだんだん衰弱していってしまった。彼女はここの湧水を見て、「自分の乳もこんなふうに出ればいいのに」と嘆いた。その夜のこと、母の枕元に地蔵が現れ、「私達は五輪塚の清水に埋められている二体の地蔵です。早く現世に戻りたい」と語ったのだとか。翌日さっそく掘り返してみると、お告げどおりに二体の地蔵が現れ、彼女の乳もたちまち出るようになったのだそうだ。

 

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中地大仏中地大仏

湖南町中野

写真ご提供:湖南町商工会
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東光寺に安置されている、天喜年間に造られたとされる大仏。
源義家が会津に攻め入るとき、まず最初に標的としたのが湖南町。しかし湖南の勢力も強く、侵攻は決してうまくはいかなかった。そんな時、義家は諏訪神社などを祀り、戦勝祈願をしたという。その後、侵攻は成功し、そのお礼を込めて定朝に大仏を造らせた。
また、これには前九年の役で亡くなった方々への供養の気持ちや、戦争で人心が不安定になってきたことを鑑み、信仰心を煽る目的もあったのだとされる。
後の火事の際、首と肩と膝がばらばらになってしまったが、肩幅がやや狭くなったものの、修復はうまくいった。
現在は県指定の重要文化財。3.31メートルの座高は東北最大。
見学には事前の問い合わせが必要。

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千手観音千手観音

湖南町福良(ふくら)

写真ご提供:湖南町商工会
ホームページはこちら

大同年間に造られたとされる観音立像。千手院に安置されている。
弘法大師が住民を疫病と飢餓から救うために、霊樹を削ってきて造ったと言われている。ただ、弘法大師はその時代まだ東北には来ていなかったことを示す歴史文献もあるようで、真相は定かではない。
現在は県指定の重要文化財。通常は年に一度、祭礼の際に公開される。
また、千手院には樹齢400年の、北と南、二本のモミの木がある。通常モミの木は寿命が200年程と言われるが、ここのモミは二倍の年月を生きていることになる。

 

猪苗代湖畔の景色


鬼沼鬼沼

湖南町舟津

昔京の公家一族が政府転覆を図ったが、内通者が出て一族はことごとく政府に捕らえられた。その中の一人の青年が逃れてきたのがこの辺りなのだそうだ。
その当時、ここには鬼渡(きわたり)神社という社があり、その社守が彼をかくまった。やがて青年は神社の娘と結婚をし、幸せに暮らし始めた。しかし、どこかから居所がばれ、再び役人の一団に追いかけられることに。青年は妻と共に舟で逃げ、必死で社の神様に祈った。すると、突然沼の先に橋立が現れ、沼が塞がれた。役人達は藻にからまって死んでしまったが、その後、鬼となって夫婦を追いかけ、結局夫婦も死んでしまった。それ以降、「鬼沼」という名前が付されたのだそうだ。なお、現在社は福良に移されており、この付近には存在しない。
磐梯山が最も綺麗に見える場所だと言われている。橋立は冬や春先など、水が少ない時期に出現する。

 

鬼沼現在、県道376号湖南湊線の所々にビューポイントが設けられており、素晴らしい景色を俯瞰することができる。夕景色は特に圧巻だ。(鬼沼付近は道が狭いため、退避所の役割も兼ねています。長時間駐車することはなさらぬようお願いします)

 

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青松浜青松浜(せいしょうがはま)

湖南町福良

大正天皇が明治45年に翁島にある有栖川宮の別荘を訪れた際、湖水上からこの浜を見て命名した。当時は「青い松が来賓を迎える」=「青松賓」という意味だったと思われるが、浜辺であるならば「賓」という字より「濱」なのではないかという意見により、後に「青松濱」と呼ばれるようになった。
現在は猪苗代湖の湖水浴場の中でも、最も落ち着いた雰囲気のある場所の一つで、穏やかな波の明るい浜辺だ。また、松林の東側には、昔の二本松藩と会津藩の境を示す「藩領境の大松」が植えられており、郡山市指定の史跡となっている。

 

青松浜冬景色冬景色

青松浜には冬になると白鳥が飛来する。湖南は雪が多く、浜も雪にとざれた厳しい様相を見せるが、白鳥のほのぼのとした姿が、見る者の心を癒してくれる。

 

 

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舘浜舘浜

湖南町舘

松林の美しさでは、湖東側もかなりのもの。舟津浜から舘浜にかけての松林と、磐梯山、会津方面の山々の眺望の美しさは、特筆すべきものがある。

 

 

Sky View

布引高原 布引高原

布引高原郡山布引 風の高原

湖南町赤津

2007年2月に運転を開始した、風力発電。33基ものプロペラが悠々と回る。猪苗代湖を見下ろす標高約1000メートルの広大な高原は、布引大根の産地でもある。風力発電は今注目のクリーンなエネルギー。湖南の美しい自然の中だからこそできた、時代のニーズに応えた新名所。

 

 

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赤津のカツラ赤津のカツラ

湖南町赤津

布引高原へと通じる山道の途中にあるカツラの大木。国指定の天然記念物。推定樹齢350年以上の巨木。
赤津は昔から年貢として竹を納めていたくらい、竹が豊富な場所。竹は沢伝えに町まで引っ張ってきたそうだが、その際、沢沿いのこの木が邪魔になってしまった。
あるとき木こりが二日がかりで切ろうとしたところ、半分切った日の夜にものすごい音がして、次の日には木が元に戻っていたのだとか。それ以降、誰も刃を向けなくなったそうだ。

 

 

湖南町マップ

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会津万歳会津万歳の魅力

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